幼い頃に、テレビを見ていて不思議に感じた事があった。それは東北地方の冬模様を写した映像であった。
冬の雪国の映像と云うと、お決まりは「雪だるま」「雪合戦」「かまくら」であるが、十勝ではこのどれもが出来ないのである。
子供心にも何故、出来ないのだろう。何故、テレビとは違うのだろうと思っていたものだ。
十勝だとて、北海道だから雪は少ないが降るのである。だが、雪質がサラサラのパウダースノーなので、雪がまったく固まらないのだ。
積もった雪の上を歩けば、キュッキュッと鳴き砂の様に締まる音がする。雪の結晶はいつまでも融けずにハッキリと見ることができるし、頭や肩に積もった雪も払えばパラパラと落ちるから、傘など差す必要がないのだ(雪の日に傘を差して歩くのは北海道人ではない)。
手袋をはいて(北海道弁)いると雪球を作れないから、手袋を脱いで掌の体温で雪を溶かしながらでないと雪球にならないのである。これではとても冷たくて「雪合戦」など出来る筈がない。同じ様に、固まらないから「雪だるま」にも「かまくら」にもならないのである。
雪国に暮らしながら、「かまくら」に憧れるという心境を理解できるかなぁ?
私が幼少の頃は「札幌雪まつり」も今ほど大きなものではなかったし、そもそも、札幌は日本海側だから雪質も十勝とはまるで違っているのだ。誰だってわざわざ雪を水で溶いてシャーベット状態にしてから雪像を作るなんて手間なことをしようとは思わなかったのだろう。雪像を作るという発想は十勝では浮かばなかったようなのである。最近でこそ「帯広氷まつり」でも、雪像を作るようになったが、当時の帯広では氷の彫刻を見せるまさに「氷まつり」であったのだ。
「氷」と「雪」では一般人の参加数がまるで違ってくる。氷は透明だから製作過程で失敗(削りすぎや割れたり)したらそれまでだ。難易度が高くてとても素人が作れるもんじゃぁない。結局、専門の職人が腕を競う大会になってしまいがちだ(その分氷像は大変美しいが)。
その点、雪は楽だ。雪像の作りかたは意外と簡単なのだ。コンパネで作った壁だけの箱(底と天井が無い)の中に雪を入れて固めるだけ、コンパネをはずすと立方体が出来てるからそれを専用のノミで削るのである。たとえ削りすぎても、そこにまたシャーベットをくっ付ければ元に戻るから、何度でもやり直せるのである。雪像作りが増えてから、一般人の参加が増えたのもうなずけるだろう。
札幌の雪まつりで、世界中の国々の人が参加して雪像を作っている姿を見るのは、見ている方も面白いものだ。
私も何度か「帯広青年会議所」のメンバーとして、帯広氷まつりに雪像作りで参加した事があるが、作っている最中は童心に返って楽しめるのである。作業終了後に食べたり飲んだりするのがまた格別なのだ。
十勝で面白いものに、鹿追町の「然別湖(しかりべつこ)畔」の『氷上の露天風呂』がある。
冬に凍結する湖の上に、温泉を引いて、氷で露天風呂を作っているのである。氷の上に温泉なら融けて沈むんじゃないのかと思うだろうが・・・、種明かしは無粋だからここでは止めておく(実際に来て体験することをお勧めする)。
温泉の温度は44℃ほどの熱いお湯なので湖の上に積もった雪を浴槽に適度に投げ入れて温度調節して入るのである。身体は温まるが頭の周りは−20℃以下だからのぼせることはない。
13年前に環境問題専門家の外人4人を連れて行ったら大喜びで、温まった裸の身体で何処まで遠くに走って行って、また戻ってこられるかを競い合ったり、天婦羅と称して裸で雪の上を転げ回ったりして遊んだものだ(注:翌日皆して風邪をひいたのでこれはあまりお勧めしない)。
隣にはイグルー(エスキモーらが住む氷の家)状のアイスバーを作っているのだ。この氷の家は年々規模(面積)がデカクなっている。造り方は、芋籠(ジャガイモを入れるプラスチックのカゴ)にシャーベット状にした雪を入れて一晩置いておくと、翌日には凍って氷のブロックが出来上がるのである。これをカゴから出して、積み上げていくのだ。接着剤ももちろん雪だ。難しいのは天井で、ドーム状に丸く組み上げていくのである。
外は−20℃でもイグルーの中は−3℃くらい。人間の体感温度は風速1mで1℃下がるそうだから、風を防げば寒く感じないのである。このアイスバーの中で、自分で氷を削って作ったマイグラスでお酒を飲むのだが、これがまた格別の気分なのである。ここに大学教授の方々を多数連れて行ったが、皆、夢中になって氷のグラス作りを楽しんでいたものだ。
雪や寒さにはこんな楽しみ方もあるのである。