その際に「ハブとマングースの話」を聞いたのだが、その時は「フ〜ンなるほど」と思って聞いていただけで、すっかり忘れていた。11日のNHKの番組で取り上げていたのを見て思い出したのである。
知らない人の為にかいつまんで書くと『奄美大島では猛毒を持った蛇のハブに咬まれる事故が多く起こって悩んでいた。ある時、テレビ番組で「ハブ対マングース」の闘いを見た島民がマングースを奄美大島に連れてきて、ハブを退治したら良いのではと思いつき実行に移した。ところが、マングースは日中に行動するし、ハブは夜行性なので生活パターンが昼夜合うことはなく、自然界においてはマングースがわざわざ危険なハブを捕まえることなどはしなかった。あれは人間が狭い箱の中にマングースとハブを強制的に入れるから仕方なくマングースはハブと闘うのであって、広い自然界ではマングースにしてみればもっと簡単に捕まえられる動物を取って食べてしまうのである。天敵が居ない奄美大島で野生化して増殖したマングースは、奄美大島の特別天然記念物で希少種の「アマミノクロウサギ」を捕食してしまい。島の生態系を破壊するようなことになってしまったのである。』
これには生態系の破壊という環境問題としての重要な問題があるが、私は「まちづくり」においても重要な要素があると思っているのである。
一言で言うと、「よく検討もしないで、思いつきだけで行動すると、とんでもない結果を生み出してしまう」ということである。
私は会議ばかりをやれと言っているのではない。むしろ、会議はやればやるほど内容が平準化していって、つまらないものになりがちであるから、会議の回数は少なくても構わない。キラリと光る意見を採用すればかなり面白いものが出来ると思っているのである。
しかし、内容の充分な精査は絶対に必要だと思うのである。
特に責任の所在がハッキリしていない活動は控えるべきだとも思っている。
大勢の仲間内だけでやる事業は、得てして責任の所在がハッキリとしていない。こういう組織では、問題がある事業でもGOサインを出しやすくなる。「皆が良いといったのだから」という逃げ口上が大手を振ってまかり通るのである(仲間外れを嫌うから反対意見を言わなくなりがち)。
また、周りに居る人間が皆OKなのだから、一般市民も全員OKなのだと云う錯覚を起こしやすいのである。
日本人は会議の席で「懸念」や「最悪の状態のシミュレーション」を行う事が大嫌いだ。「言霊(ことだま)」に支配されているからである。悪い事態を言葉に出して言ったら現実化するという迷信に取り憑かれているのである。
懸念や最悪の事態のシミュレーションは「縁起が悪い」の一言で終わってしまうのである。だが、「まちづくり」は多くの人達が関わる事業だ。計画と準備は慎重(綿密)に、且つ実行段階では大胆にやらなければならないのだ。
全国の商店街が焦る気持ちは充分理解しているつもりだ。私だとて商店街の一員なのだから。
だが、発案から実行までの準備段階が不十分な企画が多すぎるとも感じている。
商店街が廃れたのは一朝一夕のことではない。時間を掛けて戻すつもりで計画することが必要だ。こう言うと「そんな時間は無い」と一蹴されてしまうが、カンフル剤は所詮カンフル剤にしか過ぎないのだ。抜本的な解決には繋がりにくいのだ。意味の無いイベントばかりを繰り返していては、いたずらに体力を奪うだけである。
イベントは手段であって、目的ではない。
目的の無い、イベントの為のイベントはもう止めようよ!
もはや漢方薬で治すか、DNA治療で治すかの選択肢しかないと考える。