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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-02-17-Sunday 商いと芸能

2003年4月5日(土)十勝毎日新聞掲載

趣味である「手品」の研究を始めてかれこれ33年にもなる。そこで薀蓄をひとつ。

日本の手品の歴史をひも解くと源流は呪術や田楽にまで遡る。マジックが史上二番目に古い職業といわれるゆえんである。このうち呪術は室町時代に放下へと発達する。田楽は高尚化とともに雑技を捨て去っていくが、それを放下が受け継ぎ、やがて大道芸として定着していった。放下は、音曲、曲芸のほか、一足、高足などの軽業や品玉などの不思議を行い、品玉はやがて手妻、手品へとなった。

そもそも芸能と商いは密接な関係にあった。元来、「売る」とは面白おかしく売ることであり、面白おかしく売ってこそ初めて売れるのだ。芸能性を伴わない商売は無かったと言っても過言ではなく、香具師(やし)たちが行っていた売るための愛敬芸術(添え物アトラクションとでもいうべきもので、客寄せをするための「おまけ」の芸術)の発想は、いわば商売の本質ともいうべきものなのだ。

この日本の愛敬芸術の考え方は、芸を見せてお金をもらうヨーロッパなどの大道芸とは本質的に異なり、芸よりも商品を売ることに主眼が置かれていた。

近年はこの日本型の大道芸が姿を消しつつあるのに対して、欧米型の大道芸が「まちおこし」の要素のひとつとして注目されている。

「大道芸ワールドカップin静岡」や横浜の「野毛大道芸ふぇすてぃばる」、東京世田谷区の「三茶de大道芸」、大阪の「天保山ワールドパフォーマンスコンペティション」など全国各地で大道芸のイベントが開催されている。しかし、この大道芸にも屋台と同様に法律の高い壁が在り、この種のイベント以外の普段の日には自由に道路や公園などで演じてはいけないのだ。日本という国はなんて野暮な国なのだろうか。だから「まち」の魅力が失われてしまうのだ。

走り始めてからたかだか百年ほどの自動車がわが物顔して道路を占領している。道は通行するためだけのものではないし、ましてや自動車のものなんかでは断じてない。

洒落たオープンカフェや屋台や大道芸などの楽しみ方があったってよいではないか。

「まち」が本来持っていた要素や楽しさをお上が規制してしまうから、つまらない場所になってしまった。

「まち」の再生にはまず通りを生活の場所として復活させる必要がある。

「まち」を一日も早く人の手に取り戻そうではないか。