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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-02-19-Tuesday スケートとスキー

北海道人は皆、スキーが上手だと思われているが・・・

十勝平野のど真ん中に位置する帯広市は近くに山が無い。周りは平らな土地ばかりなのである。だから帯広生まれの私は中学3年生の冬休み(高校受験が終了した後)までスキーをしたことがなかったのだ。その代わりに、スケートは幼稚園児の頃から滑っていた。

帯広の小中学校では、雪が降ると全校生徒がグランドに出て、雪を踏み固めてコースを造り、夜になったら教師や親が、そこに水を撒いておくと次の日の朝には立派なスケートリンクが出来上がっているのである。池や湖が自然に凍ったところをリンクにするのとは違って、人工的に造る通称「丘リンク」というやつで、帯広は市内のどこの小中学校でもこのスケートリンクを造るのである。

だから、冬期間の体育の授業はすべてスケートであった。帯広の人間でスケートが滑れないという人はまず居ない(上手い下手は別として)と思う。

スケートには、スピード・フィギュア・ホッケーの三種類があるが、私が小学校当時はスピードスケートばかりであった。生徒全員がスケートを持っていた(先輩の小さくなったスケートを譲り受けるシステムがあった)のである。

私はこの体育の時間が嫌いだった。外はマイナス15℃以下、スケート靴は薄い革一枚、紐をギュッと締めるので血の巡りが悪くなり、足先が寒さで痛くなるのである。スピードスケートは腰を低く落とし、身体を前屈みにして、同じコースを延々と回り続けるだけなのだ。根性はつくが40分間これをやらされるのは正直苦痛だった。

中学校では体育の授業も選択性になり、フィギュアやアイスホッケーをやっても良いということになったので、軟弱者の私は早速親に頼み込んでホッケー靴とスティック(当時は防具無しでやっていた)を買ってもらってホッケーに転向したものだ。

ほとんどの十勝人はこの様にスピードスケートを半ば強制的にやらされるので底辺が広くなり、優秀なオリンピック選手を多数輩出しているのであるが、なかでも私立帯広白樺学園高校は清水広保や川原正行などを輩出しているスケートの名門校である。

このようにスケートは体育の必修科目であったから、ほとんどの十勝人が滑れるのであるが、スキーは前述したように高校生になる直前までやったことがなかった。高校に合格した後(一応ゲンを担いで合格発表後に行った)に中学のクラスメートと上士幌町の糠平温泉スキー場に汽車に乗って(当時はまだ士幌線という国鉄のローカル線が走っていた)スキーをやりに行ったのが初めてであった。スキーウェアーなど持っていなかったから、アノラックにGパンという出立ちであった。初めてだから当然のことながら転んでばかり、Gパンが濡れて身体に張り付き、とても滑りにくかった。着替えも持って行かなかったので帰りの汽車の座席を濡らしてしまい、立つときに「お漏らし」したように見られないかとドキドキした記憶がある。この時からスキーが好きになった。

スピードスケートのリンクは平らな氷の上なので、どこのリンクであっても同じ感じなのだ、ただ氷が硬いか軟いかぐらいしか変わりがないのであるが、スキーは場所によって面白さが変わるところが好きになったのだ。

大学を卒業してからは、マイスキー&マイカーを買っていろいろなスキー場に毎週のように出掛けて行ったものだ。

ここで感じるのは、移動手段としての「足」の問題である。

施設の近くに公共交通機関があれば、学生だけでも行けるが、そうでなければ運転手付きの自家用車が無ければ気軽にスキーに行く事も出来ないのである。つまり運転手たる親が付いていなければレジャーにも習い事にも行けないのだ。

こんなところにも地方のハンディキャップが存在するのである。