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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-02-20-Wednesday 富良野の思い出

18日(月)に富良野の農業大学講座で講演をしてきた。

自動車の運転が嫌い(特に冬は)だから列車で往復することにしたのである。

以前は帯広から札幌に行くには根室本線に乗って富良野経由で4時間半も掛けて行ったものだったが、1981年に石勝線が開通してからは新得(新得で根室本線と石勝線が分岐する)からは南千歳経由に替わったので距離が短くなり2時間半(現在の最速は2時間10分)で札幌に行けるようになった(千歳空港までは1時間半)のである。

その結果、根室本線の新得—滝川間は特急や急行列車が走らなくなったので、旭川方面へ列車で行く時には一旦札幌に出てから乗り換えるようにしているから富良野駅で降車(通過するのも)するのは27年振りぐらいのことなのである。

今回は帯広から09:20発の一両だけの快速ワンマン電車に乗って2時間11分掛けて富良野に(札幌に行くよりも時間が掛かる)着いた。帯広—滝川間の快速列車は一日に2往復しか走っていない。この快速列車に乗らないと新得で乗り換えて鈍行で行くしかなくなるのである。列車の席は背中合わせのL字型のクッションの悪い座席で乗客も少なく、久し振りにローカル列車に乗ったなぁという気分を味わった。

16日(土)には富良野の近くの占冠村(上川地方)で講演して来たのだが、こちらは石勝線沿線なので特急が走っているからまだ富良野よりは交通の便が良い(占冠駅に停まる特急列車の数は少ないが)。占冠—富良野間は同じ上川地方で自動車なら30分程度の距離なのだが、鉄道だと一旦十勝側の新得まで戻って石勝線から根室本線に乗り換える必要が出てくる。暇な時期であれば、ゆったりとして占冠村のトマムリゾートにでも泊まってスキーなんぞを楽しむところだが、16日の夜に帯広の隣町の幕別町で富良野の倉本聡の演劇集団の「悲別」という演劇公演を鑑賞するスケジュールになっていたので帯広まで戻ったのである。なにかと富良野に縁があった週であった。

北海道を公共交通機関だけで移動しようとすると時間的な余裕と、かなりな面倒臭さを克服しなければならないのである。

27年振りの富良野駅前はすっかり景色が変わっていた。残念なことに冬の富良野駅には嫌な思い出しか残っていないのである。

あれは32年前の丁度今頃(2月中旬)の出来事だった。東京に大学受験に行った帰りのことである。羽田空港から帯広空港行きのYS11機に搭乗したのだが、大雪の為に帯広空港は閉鎖されて千歳空港に降ろされてしまった。帯広は雪の少ない地方だから雪で空港が閉鎖されることは稀である。むしろ千歳空港の方が閉鎖の確率は多いくらいなのであるがこの日は逆であった。

当時の千歳空港と帯広駅は6時間程の時間距離があったのである。千歳空港—札幌駅間はバスに乗って50分程、札幌駅からは前述した根室本線に乗って帯広駅まで特急で4時間半とかなり大回りして帰らなければならないのである。当時は列車の本数も少なかった。

千歳空港から札幌駅に着いた時には、帯広行きの最終特急列車の発車10分前であった。みどりの窓口に行っている時間がないので、入場券で入って後から切符を買うことにして、ホームに駆け込んだのである(旅慣れていたなぁ)。発車のベルが鳴っていたので慌てて列車に飛び乗ったのだが、乗った瞬間にドアが閉まって走り出した。「アレッ、発車までは後5分あるはずなのに」と思ったのだが・・・

慌てた私は、帯広行きと逆方向の小樽行きの列車に飛び乗ってしまったのである。幼い頃から一人旅をしてきた私が始めて犯した乗り間違えであった。

次の駅で降りて札幌まで戻ったのだが、帯広行きの列車は既に発車した後であった。

べつに急ぐ旅でもないのだから、札幌の親戚の家にでも泊めてもらえば良いものを、何を思ったのだろう少しでも帯広に近づきたいと、鈍行列車に乗って富良野まで行く事にしてしまったのである。富良野駅で降りて、滝川からの夜行列車に乗り換えて帯広まで戻ろうと考えたのだ。富良野に着いたのは午後8時半頃であったと思う。それから11時過ぎの夜行列車の発車まで富良野で時間をつぶさなくてならないのである。駅の売店は閉まっているし、駅前の店も全部閉まっていた。何て寂しくて何も無い町なんだと感じたのも無理はないと思う。

富良野駅から自宅に電話したら、私が搭乗した飛行機以外の便は全て帯広空港に着陸したと言うではないか。運の悪い時というのは「これでもか!これでもか!」というくらい不運が連続するのだなぁ、その不運は精神的余裕を失って自ら招いているんだなぁ、と寂しい駅で一人思ったものである。

案の定、東京で受験してきた大学は全て落ちたのだった。