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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-02-22-Friday お酒

お酒が大好きで○歳から飲んでいる。

きっかけは正月のお神酒であった。高校○年生の冬休みの正月3日にお年玉をせびりに札幌の親戚の家に遊びに行った時のことである。朝、家を出る時にお雑煮を食べただけで一人列車に乗って札幌に向かったから昼食からまともな物を食べていなかった(当時は正月三が日に営業している飲食店は無かった)。

夕方に親戚の家に着いて、一緒に夕食を食べる時に伯父が「お神酒を飲むか?」「お酒くらい飲んだことがあるだろう?」と聞くので、粋がって「飲めるよ」と答えたのだが・・・

空きっ腹に冷酒をクイッとひっかけたので効いたのだろう。テレビで沢田研二が歌っているところを見たのは覚えているのだが、気が付いたら布団に寝ていたのである。いわゆる急性アルコール中毒というやつである。一緒に居た従兄弟の医者が「一口飲んだだけだから、どうってこともないだろう。寝かせておけば大丈夫だから」と笑ってその場は終わったのだそうである。

頭はガンガンするし、吐き気はするしで散々だったからトラウマになって酒が飲めなくなっても不思議はないのだが、笑われたのが悔しくて、帯広に帰ったら酒の練習をしようと心に決めたのである(当時から負けず嫌いだったのだ)。

父は日本酒が好きで、夕食時にお銚子を2本ずつ晩酌するのが日課だった。父に「一口飲ませてくれ」と頼んだら、「まだ早い」と一蹴されたので、夜中に起きて台所にあるお酒を内緒でチビリチビリと飲んでいた。初めはお猪口に一杯程度だったのが、段々美味しくなってきてお猪口に数杯程度にまで飲む量が増えて来た。我が家で日本酒をたしなむのは父だけだし、飲む量は毎晩2合と決まっている。しかし、父が酒を買ってくる訳ではないから多少ペースが速くなってもどうせバレないだろうと高をくくって、飲む量は一回にコップ1杯ほどにも増えていたのだ。

ある時、父が晩酌していると母が「最近お酒が減るのが早い」と言い出したのである。一瞬、冷ッとしたが、さすがに私が飲んでいるとは思わなかったようで事なきを得た。が、「このままではバレてしまう」と思い。父の日本酒をちょろまかすのは止めにしたのである。

それで、今度は祖母が作っていた梅酒を飲んでみたのであるが、甘ったるくてとても飲めた代物ではなかったので、しかたなく自分の少ないこずかいで買うことにした。

一升瓶なんぞを買ったら置き場所がなくて、すぐにバレてしまう。ワンカップの日本酒を買うのには何故だか心理的抵抗感が付きまとったのである。

最初は自動販売機でビールを買って飲んだのだが、ビールは高校生にとってはコストパフォーマンスが大変に悪いのである。アルコール度数が低いから大量に飲まないと日本酒ほどには酔えないのだ。だから価格面でも日本酒に較べて結局割高になるのである。

ナイトキャップを飲んで眠る洋画の場面を見て憧れたのでブランディを買ったのだが高校生が続けて飲めるような価格のものではなかったので、諦めてウィスキーにたどり着いたのである。初めは角サンだったのだが、飲む量が増えて来て、少ないこずかいでは、ホワイト→レッド→Wレッド→トリスと価格が安い物に下げていくしか対応策がなかったのである。

自分の部屋で一人で飲むのだが、水や氷やグラスを用意したらバレるので、キャップを逆さまにしてストレートでクイッと飲んで、ビンは机の引き出しの奥の奥に隠していたのである。

ある時クラスメートが家に遊びに来て「俺も飲めるぞ」というので飲ませたら、戻しやがったので臭いを消すのに大変な目に遭ったこともあった。(高校時のあだ名はサケモト君だった)

大学に入ってからはタバコも覚えたのだが、少ない仕送りで酒とタバコの両方をやるのは金銭的に無理だったから、タバコは20歳の誕生日にスッパリと止めて、以来吸ったことはないが、酒だけは止められなかったのである。

一昨年までは、ほとんど毎日のように酒を飲み続けてきたが、一昨年の8月にジンマシンが出てからは12月末までピタリと止めて、以来極端に飲む日数が少なくなったのである(飲む時には相変わらず大量に飲んでしまうが)。

どうやらアルコール依存症ではなかったようだ。

酒は百薬の長、少しは飲んだ方が、まったく飲まないよりも身体に良いと言うから・・・。