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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-02-24-Sunday 会議と言霊(ことだま)

2006年2月11日(土)十勝毎日新聞掲載

今から八年前の一九九八年四月に当時の十勝環境ラボラトリー(現:十勝場所と環境ラボラトリー)の都市構想プロジェクトが「帯広中心市街地活性化事業TMO提案書」をまとめて、市役所と商工会議所に提案した。

その内容をかいつまんで書くと、「場所の個性に合った、長期的な視点に立ち、公共交通体系を含めた、コンパクトシティを創りましょう」と言うものである。西2条通りの九、十丁目と藤丸前の郵便局と広小路の東西の街区を十字型に車をシャットアウトした歩行者天国にしてはどうかというプラン他を提案したのである。当時はまったく相手にされなかったが、最近同じ様なプランが浮上してきた。

ようやく時代が私たちの方に近づいて来たのだろうと思う。郊外に拡散していくまちづくりは人口が増えていた時には必然であった。しかし、日本は去年から人口減少が始まったのである。実際に人口が減ったことによってこれまでと同じ論理では通用しないことにようやく気が付き出したのであろう。だが、人口が減ることは統計上(2007年から減少が始まると言われていたが2年早く現実化した)は判っていた筈である。

実際に減り始めてから慌てるから対策が遅くなる。なぜ事前に対応しないのであろうか?それには井沢元彦ではないがまちづくりにも「言霊(ことだま)」が関係している様に感じるのである。ある会議で「帯広市の計画では二十一世紀初頭の帯広市の人口を二十万人と想定していたが、これからは人口が減る前提のまちづくりを提案していかなければ、計画と現実との乖離がより大きくなってしまって肝心の計画が無意味なものになってしまうのでは」と発言したのだが、「人口が減るなんて縁起でもないことを言ってはいけない。減るかどうかは確定していないし、ひょっとすると増えるかもしれないではないか。未来の予測なんて無意味だ」という意見が出て、結局「そうだ増やす努力をすれば増えるかもしれないではないか」という意見になってしまった。

帯広市の人口は二〇〇一年をピークにして減少が始まり、〇四年の自衛隊の旅団化による縮小もあって急激に減ったのだが、発言した人が増やす努力をした形跡は見えない。

計画とはまちづくりを進めていく上での地図の様なものではないだろうか。自分が今立っている現在地が判らなければ進むべき正しい方向も判らないではないか。その現在地を「言霊」で不明にしてしまうから折角作った計画が無意味になってしまう。

こんな会議はそろそろ終わりにした方が良いと感じる。

注釈:「言霊」言葉に宿っている不思議な霊威。古代から言葉にして発するとその力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられ、不吉なことは口にしてはいけないという信仰になった。