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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-03-19-Wednesday 十勝石

今朝(19日)佐賀県の辻安雄さんという方から自宅にお電話を頂いた。

14日(金)の十勝毎日新聞の「編集余禄」欄に載った「十勝石」という小文を農協の方からFAXで送ってもらい。懐かしくなってわが家の電話番号を調べて電話をくださったと言うのだ。まずは以下にその「編集余禄:十勝石」を転載する。

十勝の人は、黒曜石を十勝石と呼ぶ。十勝以外でも十勝石という人は多い。名付け親は帯広市坂本ビル社長坂本和昭さんの祖父で、坂本勝玉堂を創業した坂本勝さん。1933年、帯広商工会(当時)が市制施行を記念して選考した十勝の土産品で、坂本さんが開発した十勝石細工は、ビート糖と並び最高の名誉賞に輝いた▼十勝石は黒曜石の中でも音更川、居辺川、芽登川の河床礫(れき)などから産出した石材を指すという。美麗なガラス光沢を放ち、切り口は貝殻状になる。上士幌町十勝三股産の十勝石は180万年前に噴出したもので、坂本さんは明治時代から細工し、全国に売り出した▼十勝の代表的名産を作り上げた坂本さんの功績は大きい。この十勝石の印鑑をめぐり、心温まる話がある。1943年夏、佐賀県立鹿島実業学校の生徒70人が、援農隊として旧川西村にやってきた。その1人辻安雄さんは八千代の大路伊平治さん宅に泊まり、大規模な農業経営に驚きながらよく働いた▼収穫が終わって帰郷する前日、伊平治さんは辻さんを馬に乗せ、ポロシリ岳の雄姿を仰ぎ、坂本勝玉堂で記念の印鑑を作って贈った。大路家と辻さんの親交は伊平治さん亡き後も続いた▼十勝石の印鑑は青春の思い出として辻さんの宝になっている。六十数年の歳月が流れ、辻さんたちが中心になって広野農業担い手センター前庭に「援農記念碑」が建てられた。(嶺野侑)

この「編集余禄」には若干の誤りがあるので訂正しておきたい。十勝石の名付け親は祖父ではない。祖父は十勝石の名前を全国に広めた人である。詳細はこのブログの1月26・27日付け「勝玉堂1・2」に書いたのでこちらをお読みいただきたい。

辻安雄さんは大正15年生まれというから、父(昭和2年生)とは同年代だ。16歳の時に援農の学徒動員で帯広に来て、この時に作ってもらった十勝石の印鑑は今でも大切に使っていて、家宝なのだともおしゃってくださった。商人冥利に尽きる大変ありがたいお言葉だ。

わざわざ、お電話をいただき、とても嬉しい朝であった。

十勝石細工の職人が絶えてしまってから久しい。一度絶えてしまった技の復活や伝承は難しいものだ。何とか職人芸を残す術は無い物だろうか?これは十勝石細工工芸に限らず、北海道の伝統木工芸術品にもいえることなのである。良い技を残したいものである。