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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-07-09-Wednesday まちづくり(1)

2000年2月4日(土)十勝毎日新聞掲載「検証!20世紀の街づくり〜無秩序に拡散した街 誤りではなく時代の要請〜」

十勝環境ラボラトリー(TKL)の活動の一つである「都市構想プロジェクト」が1999年2月末に「まちづくり・ひとづくり交流会」という、より多岐にわたる人材が集まった組織へと発展独立し、「北の屋台ネット事業」を展開することになりました。

この事業はTMO(タウン マネジメント オーガナイゼーション)という、都心部を再活性化させる事業のひとつに位置付けられ、国(全国中小企業団体中央会)からも三ヵ年にわたる補助金を頂きながら活動を続けていくものです。

現在、全国の都心部に位置する商店街はことごとく衰退を続けており、このまま放置すれば取り返しのつかない事態へとなることが予想されておりますが、有効な対応策が見いだせないまま手をこまねいているのが現状です。

ではなぜ、都心部の商店街は衰退してしまったのでしょうか?

まずは20世紀の街づくりを96年からTKLで取り組んでいる「都市構想プロジェクト」の研究成果を踏まえて検証してみましょう。

20世紀という時代は成長の時代でありました。日本も第二次大戦後は人口も経済も右肩上がりの成長を続けて来ました。平均寿命が延び、ベビーブームで家族の数が増え、住宅が不足し、一戸建てを望む人達が郊外へ郊外へと住宅を建設、賃金が上がり可処分所得が増えたことで昔は高嶺の花であった自動車が庶民の足になったことと核家族化が進行したことで更にこの傾向に拍車を掛けました。行政サイドは都市計画が実状に追い付かず、需要を満たすためには新興住宅地を郊外に開発し続けるしかありませんでした。

その結果はどうなったでしょうか?

新興住宅地には30歳代の若夫婦が大挙して住んだために子供の数が増え、小学校・中学校が不足して新設校をたくさん造りました。しかし、年の経過とともにそこの街には子供が少なくなり、いずれ統廃合の運命にあります。平均年令も上昇する老人だけの街になってしまいます。

何も無いところを新たに開発するのですから上下水道や電気、道路などのインフラの整備にも多額の税金を使いました。今後もメンテナンスに多額の費用を要します。

公共交通機関の乏しい中小都市では自動車は重要な移動手段です。当然、公共交通機関よりあらゆる面で便利であり、自動車が普及するにともなって公共交通は衰退しました。

街は無秩序に拡散し、子供の習い事も郊外に立地しました。長距離を自ら移動する手段を持たない子供たちは親が自家用車で送り迎えをすることが当たり前になり、親は子供の専属運転手となってしまいました。

利用者が少ないバスや汽車は採算が合わないので数を減らします。利用者にとっては不便になりますからますます使われなくなってしまうという悪循環に陥りました。

しかし、20世紀は人口が増え続けていたのですから、これらの拡大政策が誤りであったという訳ではありません。むしろ時代の要請であったといえるかもしれません。