«前の日記(■2008-07-15-Tuesday) 最新 次の日記(■2008-07-17-Thursday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-07-16-Wednesday 勝毎「論壇」原稿

2008年7月14日(月)十勝毎日新聞掲載「十勝は先進的まちづくりを」

「環境モデル都市」あれ〜、どこかで聞いたことのある言葉だと思ったら、一九九五年に帯広青年会議所(JC)が提唱した「国際環境モデル地域TOKACHI」に似ていると思い当たった。

これは九二年に世界初の「地球環境問題」を扱う大学設立を提案した遠大な計画「国際環境大学構想」の「十勝を安全で安心なエネルギーと食料の自給他足を実践する完全環境循環モデル地域にして、その価値観とライフスタイルを世界に発信することで地球環境に貢献しよう」という最終目標そのものだった。

過去形で書いたのは、一昨年(〇六)十二月にこの活動(十勝場所と環境ラボラトリー)は終了してしまったからである。

もともと、六年間の期限付きの活動であった。主だった成果が上がらなければスッパリと活動を終了するが、止めるまでは全精力を挙げて取り組む全力疾走型である。途中で「北の屋台」事業が派生したので四年間の期間延長をして十年に亘る活動を終了した。

九二年当時「地球環境問題」は今日ほど関心が高くなかった。と言うよりも「環境は経済の邪魔である」という考え方が支配的でさえあったのだ。隔絶の感があるが今日では環境問題を考えない企業は生き残れない。「歴史にifは無い」と言うが、もし九二年からこの構想に着手していたら今頃十勝は・・・とつい考えてしまう。

「まちづくり」には斬新な発想力とそれを実現させる実行力とが不可欠だ。今日、繁盛している「北の屋台」だって当初は誰もが「北海道みたいな寒いところで屋台なんぞできるわけがない」と仲間たちでさえ批判的だった。

しかし、しっかり二年半かけて調査研究をし、理論構築をし、戦略的広報活動を行ったから実現したのである。思いつきでパッパッパッ〜と始めたのではない。

「マネは成功事例があるから簡単だ」という安易な事業や「責任の所在がハッキリしない」事業は失敗する可能性が高い。もはや、どこかの街のマネでは成果が薄い時代だ。人口が右肩上がりで増えていた時は、遅れながらもいつかは追いつく事ができた百メートル競走社会であった。現代はマージャンのように誰かが得をしたら、誰かが損をするゼロサム社会へと変貌した。「柳の下に二匹目のドジョウはいない社会」になったのだ。以前と同じ考え方で上手くいくはずがない。既成概念や常識だけで考えていると判断を誤る。

先進的な事業が地域を救うことになるのだ。視察に来る人たちも客の一人なのだから。

(注)自給他足は私の造語。余ったら他人にも分けてあげるという意味。