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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-07-21-Monday まちづくり(9)

2001年5月12日(土)十勝毎日新聞掲載『「食」価値観〜生産と消費の乖離防げ コミュニケーション可能な店〜』

20世紀、人類は無駄を省きひたすら効率化を追求してきた。その結果、一見便利なったような気になっているが、実は失ったものの方が多いように感じる。

ドイツの作家ミヒャエル・エンデは小説「モモ」に書いている。灰色の男たちに勧められ、節約した時間を時間銀行に貯めた気になっている人たちは、実は巧みに騙されていたのであり、貯めるどころか、逆に時間を盗まれ、余裕を失い、日毎にイライラしていく。つまり、効率化すると時間の余裕が生まれるのではなく、逆に益々忙しく時間に追われ、身体や精神を疲れさせてしまうのだ。「モモ」に描かれている世界は空想の物語ではなく、現実の話ではないだろうか?

近年は、生産者である農業者と消費者である生活者との間に高い壁が生じているそうだ。都会には魚が切り身で泳いでいる絵を描く子供がいるほどだから、野菜や果物がどのように育っていて、どのようにして収穫され、どのように調理されて、目の前の料理になっているのか、そんなことすら分からない子供たちも大勢いるのだ。生産場所と消費場所との乖離が起きている。果たして十勝は大丈夫だと断言できるのだろうか?

一番大きな原因はコミュニケーションの不在だ。生産者と消費者間の意志の疎通が不足している。

二番目の原因として、冷凍食品やお惣菜を買ってきて電子レンジでチンするだけで済ませ、家庭では手を掛けた料理を作らなくなったとか、外食の機会が増えたからだとも言われている。

厨房と食事をする場所が離れている大きな飲食店では客には調理する姿が見えないから、外食が悪いのだと敵対視されるのも仕方がないことかもしれない。しかし、例えば「北の屋台」では十勝の農家が、朝、自分の農場で採れた新鮮なものを持ち込み、自慢の腕で目の前で調理のパフォーマンスをする。こだわっていることの薀蓄を聞いたり、お互いの悩みを話し合ったり、または楽しみながら、安全で安心なものを食べることができる。コミュニケーションが解決してくれることが沢山あるはずだ。

もうひとつ、商社が効率性という自分の都合に合わせて作った「規格」という「もったいない」ものがある。流通の際に無駄がないように野菜などの大きさや形に「規格」を作ったのだ。規格に合わない大きなものや小さなものは商品にしづらいので処分してしまう。こんなにもったいない行為はない。

戦後の日本は成長と共に「おいしい」ものを求めて生きてきた。しかし、21世紀は「おいしく」ものを食べる時代になるのではないだろうか?

人間にとって必要不可欠な「食」という行為を通して、これまでの価値観を変えてみようではないか。