«前の日記(■2008-10-09-Thursday) 最新 次の日記(■2008-10-14-Tuesday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-10-10-Friday 旭川のマジシャン

旭川で講演終了後に懇親会が催された。

観光協会長さんが経営している食事の店と高級クラブを二軒はしごして、ホテルに戻る段になったら一緒のホテルに泊まっている人たちがもう一軒、寿司屋に行くと言い出した。お腹はすでに一杯だし、飲み始めたらほとんど食べない主義なので遠慮した。

旭川に到着してから講演の打ち合わせまでにまだ時間があった時にホテルのロビーに置いてあった旭川のナイトスポットを紹介する小冊子に目を通していたら、マジシャンの店という文字が目に入ったのでその店に行きたいと思っていたのである。旭川の方が一人同行してくれるというので二人でその店を探し出して入店した。

小冊子には「初代引田天功の内弟子」と書いてあったので、どんな人なのか楽しみにしていたのである。私も大学生時代に初代引田天功の弟弟子のジミー忍師に師事していたから何度か天功師とは一緒にステージに立っていたからだ。

店内に入ってカウンター席に坐ったが、その店の店主だというマジシャンの顔に見覚えがまったくない。私はもともと人の顔と名前を覚えるのが苦手な人間だから、たぶん忘れているのだろう、その内に思い出すかもしれないとマジックをみながら飲んでいたのだが結局最後まで思い出せなかった。

他にもお客さんが居たので、私は初代引田天功の門下だとは名乗らなかった。ただ学生時代からマジックを趣味でやっているとしか言わなかったのである。

そのマジシャンは「自分は引田天功の一番弟子だった。」と言って初代の色々なエピソード(コンピュータで検索できる類の他愛もない話)を得意げにするのである。それなのに初代引田天功と一緒に写っている写真は店内には飾っていない。代わりに二代目のプリンセス天功と一緒に写っている写真は何枚か飾ってあったが・・・。

私は初代の引田天功師の内弟子は唯一初代が生前に引田を名乗らせた「トシミ」さんのことしか知らない。私が大学を卒業したのは1980年だが、初代はその前年の1979年12月31日に死亡している。彼は初代の弟子だったと言うが、二代目のプリンセス天功ことまりちゃん(本名:板倉満里子)が初代に入門したのは、私と同じ1976年のことだから、彼とはどこかで顔を合わせていてもいいはずなのに・・・。

彼に年齢を訊ねたら「永遠の27歳です」とプリンセス天功と同じ様なことを言って明かさなかった。どうみても私よりは若そうだったから年齢が合わないような気がして、店を出てからホテルに戻る道すがら、わが師、故ジミー忍師の奥さんに電話して聞いてみた。すると、やはりそんな人間は知らないという。ママ曰く「日本ではマジシャンで有名なのは初代引田天功くらいしかいないから、マジシャンは初代の弟子だったと言う人が多いのよ」と。

確かに当時はテレビに出ていた有名なマジシャンは引田天功師くらいであった。しかし、マジシャンとしては技術的にはけっして上手い人ではなかった。むしろテーブルマジックなどのテクニックを必要とする部門は不得手だったのではなかったろうか?

その初代の一番弟子を名乗るのはあまり得策とは思えないのだが・・・。