最近の、物欲もなく、金銭欲もなく、出世欲もない若者たちを「イラナイ族」と呼ぶのだと書いてあった。
自動車もイラナイ、ブランド物もイラナイ、出世なんてシタクナイ世代だというのである。以前に書いた草食系男子とほとんど同義語か?
バブルが崩壊した後に生まれた子供たちは右肩上がりの経済を体験・体感したことがない事が一因として考えられるのだという。
今の世の中、一生懸命に働いても給料は上がらないし、何時クビになるか、それよりも会社そのものがいつ倒産するかわからない不安定な中で、多少給料が良くても責任がある幹部社員でいるよりは、平社員でいる方が責任がない分だけ楽だというのだそうだ。ホドホドに生きるのが良いということらしい。何と覇気の無いことだろう。
物欲の塊みたいな男で、何でもかんでもコレクションする癖のある私からすると、その感情がまるで理解不能なのである。
そういえば、我が家の子供たちにも思い当たるフシがある。新しいモノを買ってやるぞ!と言っても「イラナイ」としか返事しないのである。
買い物という行為自体が面倒臭いというのだ。何ということでしょう!(ビフォーアフターのナレーターの加藤みどり風に)
今の時代に合わせてエコロジーなのだといえばカッコ良く聞こえるかもしれないが、このままだと商売というものが成り立たなくなってしまう。
昔、パルコだったか西武だったか忘れたが「贅沢は素敵だ!」というキャッチコピーがあった。これは第二次世界大戦中の「贅沢は敵だ!」をもじったものだが、当時なかなか洒落たコピーだなと思ったものだ。
私は別に贅沢が良いと言っている訳ではない。しかし、今のままの風潮が続けば、古代の自給自足社会に逆戻りしてしまうのではないかと危惧しているのだ。
社会が発展して経済が大きくなったから自給自足から分業制ができて、そして人口が増えていったのである。日本は人口減少社会になってきたからこれは必然のことなのだろうか?
しかし、これは負のスパイラル(螺旋階段)である。このままいけば益々失業者が増えるだけだ。どこかで歯止めを掛けなければならないだろう。
贅沢というのはある意味「無駄」である。文化というものもある意味「無駄」なものである。世の中の無駄を省いて効率化し、質素な生活だけをしていけば、文化的なものは廃れてしまう。「無駄」は「余裕」でもあるのだから。余裕がなくなればギスギスした社会になってしまうだろう。
世の中には無駄な事、バカバカしい事もあるから面白いのであって、真面目一方では無味乾燥でツマラナイ。イラナイ族の連中は、仲間たちと一緒に酒も飲まないらしい。
他人と酒を酌み交わすのだってコミュニケーションの潤滑油なのだが・・・。
この先、日本は一体どうなってしまうのだろうか?