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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-01-19-Tuesday 読売風向計

風向計原稿

2010年1月14日(木)読売新聞北海道版「風向計」記載「効率追求 行き過ぎ疑問」

人間はいったい何のために生きているのだろうか?誰もが皆、幸せな人生を送りたいと考えて生きているはずである。

企業はいったい何のために活動しているのだろうか?社会(人間)を幸せにしたいと考えて活動しているのだと思いたい。しかし、最近の企業はその目的を見失っているように感じる。

効率化や便利さの追求の目的は「人間を幸せにする」ことにあったはずだ。それなのに、効率化という名目のもとにおこなわれているリストラは、結局、誰も幸せにしていないのではないか。

それもそのはずでリストラクチャリングは本来は「再構築」という意味なのに、リストラと略すと全く別な「クビ切り」の意味に使われている。

そもそも機械化というのは人間を単純作業や重労働から解放するために導入されたはずだ。それが、いつの間にやらコスト削減に用いられているから、人件費を削減するためにクビを切られた人はもとより、残った人も以前よりも過酷な労働条件を強いられて不幸になっているように思える。

便利さも、便利にすればするほど、人と人とのコミュニケーションを必要としなくなるから、殺伐としたセルフ社会を作っているように感じる。限界を超えた便利過ぎる世の中は、逆に不便な、生きづらい方向に向かっていないか。

それは、目的を達するため一生懸命やっているうちに、本来の「人間を幸せにする」という目的を忘れてしまい、目的達成の手段にすぎなかった効率化や便利さの追求それ自体が目的化してしまったことによるといえる。

効率化や便利さの追求が悪いと言うのではない。行き過ぎた効率化や便利さの追求は如何なものかと問いたいのだ。

似たような事情で言えば、一部の大金持ちの人はお金を貯め込むことが目的化しているように思える。しかし、お金はあの世に持っていけない。必要以上に稼いで貯め込むことはない。

21世紀が始まってもうすぐ10年になろうとしている。去年、アメリカではチェンジと叫んだオバマが大統領になり、日本では政権交代が起った。

20世紀は大戦争の世紀であり、経済成長の世紀・環境破壊の世紀でもあった。その行きすぎたあり方を見直そうというのが21世紀の潮流だろう。

2010年が明けた。企業も政治も「社会や人間を幸せにする」という基本に立ち返って活動をしてもらいたいと思う。