«前の日記(■2010-03-12-Friday) 最新 次の日記(■2010-03-14-Sunday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-03-13-Saturday 講演スタイル

私の机の上は本や書類が平積みになっている。

会社の机も、自宅の机も同様の状態で今にも崩れそうだ。妻に言わせれば、「少しは整理したら?」となるところだが、これでも一応は何処等辺に、どのような書類が置いてあるのかは把握している(つもりなの)である。

それでも、不必要な書類(2年間以上開いて見ることがなかった書類)は、この3月末の年度末に向けて少しは整理しておかないと、新年度の書類を置くスペースが全く無くなってしまうから、少しずつ整理を始めたのである。

書類も、必要か、不必要かは、一応内容をサッと見て判断しなければならないから、結構時間が掛ってしまうのだ。あんまり溜まり過ぎてニッチもサッチもいかなくなったら、見かねた従業員が、分類してくれてから、エイ、ヤァーとばかりにマトメテ捨ててくれるのである。

私はというと、その分類してくれた書類を見て、これはまだいる、これはもういらないと判断するので、会社の机はこれまた書類で一杯になるから、「社長、早く捨てましょうよ」とせかされることになるのだ。

そんな整理をしている中で、面白い冊子が出て来た。

何年か前に学校の校長先生をやっている友人から、平成15年の10月17・18日に幕別町で開催された「第46回北海道中学校校長会研究大会十勝(幕別)大会」の記念誌が送られてきたのである。

「北の屋台のK専務理事の講演を聞いたのだが、聞いていて非常に不愉快な思いをした。講演を聞いて嫌〜な気分になったのは初めてだ。その講演録が掲載されているから読んでみろ!」と送られてきたものだ、今回、捨てるのもどうかなと思って読み返してみたところ、まぁ酷いことが書かれていた。

一読して、そういえば以前にも何となく読んだような気がするが、内容が若干違うようにも感じる。よくよく思い出してみたら、この講演録の校正前のモノが「北の屋台事務局」にメールで送られてきたものを見せられたことがあったのだ。

あまりに内容が事実と異なることや、仲間たちの悪口ばかり言っているから、事務局員の女性達が「随分デタラメばかりしゃべっていますね〜。一緒に活動している医者の先生や自分の生活を支えてくれているはずの北の屋台の店主に対してもこんな悪口を言うなんて随分と失礼な言い方ですよね。」と呆れていたことを思い出した。

Kもその校正前の原稿をそのまま載せるのはさすがにマズイと思ったのか、この記念誌の講演録は随分と修正が施されているようだが、それでも・・・。平成15年10月といえば、まだ私が辞める3年半も前のことであるのに・・・。

一読して、私の講演スタイルとはスタンスが随分違うなぁというのが感想である。

聴講して下さる方々に夢や希望や元気にするような話をするのが私の役目だと思っているし、これから街づくりをする人たちにヒントになるようなマジック的発想法だとか、運営のノウハウだとかを的確に伝えることが重要なのだと考えている。

Kのように自分が所属している組織のことを悪しざまに言って何になるるのだろうか?ましてや屋台店主から頂いている家賃から給料をもらっている人間が言うことではないように感じた。

もう少しマトモな事が言えないのだろうかと思う。

ここから書くことは、北の屋台の関係者以外にはどうでもよい話だろうが、何がどうデタラメなのか、書かなければ読者には判らないと思うので書く事にした。これでも修正後の文章なのである。

K曰くは「十勝環境ラボラトリー(TKL)」の設立時の箇所では、TKLはKが関わっていた青年会議所(JC)の「エイズキャンペーン事業(十勝管内の高校を回ってエイズへの認識を高める活動)」から出来たんだそうだ。

正しくはTKLは「国際環境大学構想プロジェクト(1995年)」から出来たものだ。

Kは「国際環境大学構想」には一切関わっていないし、第一、当時KはすでにJCを卒業(1994年卒:JCは40歳で卒業)していたから、この国際環境大学構想プロジェクトにはまったく無関係なのである。さすがに無関係な自分がTKLを作ったことには出来ないと思ったからか、事実を捻じ曲げて「エイズキャンペーン」からTKLが出来たことにしたかったのだろう。

しかし、誰がどう考えても「エイズ」から「環境ラボラトリー」が出来たというのはちょっと(方向的にも)無理があるんじゃないだろうか?

「北の屋台」のきっかけになった帯広市と商工会議所の「TMO タウン・マネジメント・オーガナイゼーション事業」も、商工会議所の議員だった私が依頼されて参加したのであって、K曰くの自分が「忙しかったから別な人間(ここで坂本のサの字も言わずに別な人間と言うのは何故なのかな?)を代わりに送った」と言うのは???、海外視察にはKは一度も行ってもいないのに「東南アジア・アメリカ・ヨーロッパに遊びに行って1000枚の写真を撮ってきた」のだそうである。

一番許せないのは、北の屋台を辞めた店主を実名を挙げてこきおろしていることだ。彼等の払ってくれる家賃で生活させてもらっている人間が何をエラソ〜に言うのだろうか!

私は、いまだに北の屋台の講演をする時には、「北の屋台は素晴らしいところですよ!ぜひ来て下さい」と宣伝している。なぜなら、北の屋台が我が子の様に可愛いからだ。

私は常に人を元気にするような講演を心掛けているが、Kの講演のスタイルは他人をこきおろすことで、相対的に自分を上位に立たせようとするものだ、聞いた人を嫌〜な気分にさせる話である。これでは「北の屋台」の為にもならないだろう。

一体、K専務理事はどういうつもりで講演していたのだろうか?

7年経った、最近の彼の講演を聞いてみたいものである。