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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-03-21-Sunday 強風

ものすごい強風が吹き荒れている。

この強風で北海道も飛行機や列車が運休している。こんな日が旅行の移動日でなくてほんとうに良かった。

羽田空港や新千歳空港などの大きな空港で飛行機の運行が乱れたりした時なら、まだ時間をつぶすこともできるが、地方の小さな空港でなら手持ち無沙汰になってイライラしてしまう。

ましてや、列車の中に居る時に運行が停止したりしたら、ただ座席に坐っているしかないから暇をもてあます。以前に石勝線のトマム近くの鉄橋で、今日の様に強風の時に脱線の危険があるからと列車が止まってしまったことがあって2時間近くも列車内で待たされたことがあった。買っていた雑誌も読みつくしてしまうし、昼間から酒を飲むわけにもいかないし、寝ることも出来ないしで、イライラしたのを覚えている。こういう時の疲労感というのは倍増されて感じるものなのだ。

昨日の土曜日は、15時から歴史の勉強会があったので参加してきた。日本史におけるアイヌと思しき蝦夷(まったく一緒というわけではない)という記述が出てくる文献を元にして、安倍比羅夫(アベノヒラフ)などの征夷大将軍の遠征から、江戸末期の津軽藩や南部藩や松前藩までの動きを検証するのだが、これがなかなか面白く興味深い講演であった。

松前藩のことなんて日本史の教科書には出てこなかったから藩主の名前すら知らなかったが、その歴史を研究することは北海道を知る上でも重要であると感じた。

高校時代も日本史の授業が大好きで、個人的にもいろいろな文献を読んで勉強していたが、蝦夷の話だけを抜き出して勉強するのは初めてのことである。

蝦夷とアイヌが同一の人たちなのかは今日まだ学会でも意見が分かれるところだが、意外と昔からヤリトリというか関わりというか色々な交流があったことが判る。

おそらく、北海道は今の気象条件よりも温暖だった時代があったのではなかろうか?と思うのである。また、北海道から樺太を抜けて大陸に渡るルートというのもかなり昔からあって、義経がジンギスカンになったという説が盛んに喧伝されたことがあったが、その話はともかくとしても、戦に破れた武将が北海道に渡ってきて大陸まで行ったという話が残っていたり、大陸まで行って略奪行為をしていたというのは興味深い話である。

北海道の函館方面の地域を現在は渡島(おしま)地方というが、北海道を「わたりとう」と呼んでいた時期があり、この「わたり」という言葉の意味を考えたときに、かなり盛んな行き来があったのだということが伺える。津軽地方にもアイヌの人たちが住んでいた「てき村」というのがあったというから結構、混血もすすんでいたのかもしれない。

征夷大将軍坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が捕らえてきたアテルイという蝦夷の首領の名前もどこかアイヌを想起させる名前だ。

もともと日本全土にいた蝦夷という名前をつけられた原住民を、朝鮮半島から渡ってきた人たちが、真ん中の島根県あたりから入ってきて(出雲大社の大国主命「オオクニヌシノミコト」の国譲りの物語がそうではないかと言われている)北と南に原住民を追いやって日本を征服した。だから北海道のアイヌと沖縄の人達が似ていると言われてもいるが・・・。それから、七福神の中に恵比寿(夷)と大黒天という2人の神様がいるが、これも何等かの関係があって神として奉っているのではなかろうかと思われる。日本人は酷い目にあわせた人間を祟らないように神として祭る風習があるようだからだ。恵比寿は「夷」とも書くが、この「夷」という字は「(蔑んだ)異国の・・・」という意味に使われるからだ。大黒天の大黒も「大国主命」の大国を大黒と読み替えているのだろう。七福神の由来はよく判らないが、他の5人はヒンズー教の神様などらしいから、それと日本土着の2人の神が合わさって七福神になった意味を探ると、きっと面白いことが判るのではなかろうか?

真偽のほどはまふだこれからの研究によるのだろうが、古代の物語を研究するというのは、なかなかロマンがあって面白いものである。