「温故知新・広小路・考」の感想を何人かから頂いた。
新聞という公器であるから、あまり過激なことは書けないと思って、極力、柔らかく柔らかく書いたつもりであったが、受け取り方というのは人様々なものである。
この文章は私のこのブログの3月18日付けに書いた「まちづくり」と合わせて読んでいただいた方がより過激さが増すと思うので、まだそちらを読まれていない方は、ぜひ読んでみて欲しい。
私が言いたいことは、根本原因を直さずして、治癒(活性化)はありえないということにつきる。
私たちが「十勝場所環境ラボラトリー」で研究してきたのは「場所の意志に合った・・・」ということである。この場所の意志とは、場所には適、不適な事柄が存在するということでもある。
広小路の歴史的な経過をみれば、広小路は大正9年(1920年)から露店が多くあった場所で、露店が強制撤去された昭和28年(1953年)までの33年近くが露店街として賑わっていたのである。
業種も初期の昭和5年の段階で21種類93店舗もあったのだ。つまり広小路だけでほとんどの買い物を済ませることが出来たわけである。
ところが、その後の広小路は、露店とはもっともかけ離れた高級な職種ともいえる呉服店街になり、極端に業種の幅が狭まるのである。
業種の幅とは対照的に道幅は広がった。もともと20㍍あったが、広過ぎて商店街としては相応しくないから、真ん中に背中合わせに露店が並んで道幅を狭くしていたのにだ。
それを広小路に変える時に20㍍に戻してしまったのである。
私が考える最大の失敗は、ロクに調査研究もしない内に、今の全蓋式アーケードに改修した時だ。
車にも人にも良い道路にするというコンセプトで、昼間は車をシャットアウトし、夜間は車の通行を認めるように作られたが、それは逆に言えば、車に取っても人に取っても使い難い道路にしてしまったということになる。何時からは通行出来て、何時からは通行出来ないなんて面倒な事を、客や通行者はいちいちやりたくないからだ。
結局、両者から嫌がられる存在にしてしまい。現在の形にしたのである。
でも、向かい側の店に行くのに、わざわざ横断歩道を渡らなければ行けない商店街が流行るだろうか?
商店街の最適な道幅は6㍍という説もあるくらいだから、3倍以上の20㍍は、なんとしても広過ぎる。
この根本問題を解決しないで、ウワベだけ直しても客は戻ってこないだろう。
だが、今回の修繕費はいくら補助金が出るといったところで、広小路の商店主にだって負担はある。現在、路面店が32店舗しかなくて、空き地だらけの商店街が負担できるのだろうか?