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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-03-26-Friday イオマンテ2

「生命を頂くありがたさ」

2010年3月26日付、読売新聞朝刊北海道版「風向計」掲載

函館ラ・サール高校の英語講師ピーター・ハウレットさんから「The Ainu and the Bear」と題する絵本が送られてきた。これは私たちのグループ「十勝場所と環境ラボラトリー」が2005年2月15日に出版した「イオマンテ めぐるいのちの贈り物(文:寮美千子・画:小林敏也・パロル社刊)」の英語版である。

イオマンテとはアイヌの「熊の霊送りの儀式」のことで、ちょうど今頃の季節に、熊が冬眠している穴を見つけて猟を行う。冬眠中に生まれた小熊がいたら、母熊だけを殺して小熊はコタン(村)に連れ帰る。母熊の肉、毛皮などは余すところなく活用する。熊は天からの贈り物だから、すべてを大切に頂くのだ。

連れ帰った小熊は、人間の赤ちゃんと同じ様に母乳を与えたりして家の中で大切に育て、大きくなったら丸太の檻に移すが、上等の食事を与え続ける。1〜2年育てた後に、熊の霊を天に帰す盛大な儀式を行って殺し、また余すところなく頂く。肉や毛皮などは、もてなしに対する置き土産であるから、村人皆がありがたく頂戴するわけである。

農耕民族の日本人は血を「穢れ(けがれ)」として嫌い、昔は4本足の動物の肉は基本的に食べなかった。明治以来、肉を食べるようになったが、狩猟民族の食べ方とは異なり、いまだに殺される現場は見ずに解体処理された肉だけを食べている。しかし、果たしてそれで良いのだろうか?

ものを食べるという行為は植物であれ動物であれ、結局は「生命を頂く」という行為で、それが「いただきます」の本当の意味だろう。声を出さない植物か、肉の塊になったものしか見ていないから、生命を頂いているという感覚が乏しくなる。

何も食肉処理の現場を見ろと言っているわけではない。私も鶏肉の工場見学をしてから、しばらく鶏肉を食べられなくなった経験がある。直接に殺す現場を見なくても、生命を頂いているのだと教えることは出来るはずである。

私たちが出版した「イオマンテ」という本は、まさにそんなことをベースにおいて作った絵本である。ちなみに、道が野蛮な儀式として禁止通達を出していたイオマンテだが、この本が出版された2年後、この通達は撤回された。

この「イオマンテ」を是非とも英訳して世界に広めたいと言ってくれたのが、ピーターさんを代表とするアイヌ民話を英語圏に紹介する活動をしている「プロジェクト・ウエペケレ」の方々だ。この絵本で、生命の尊さ、そして、その尊い生命を食事としていただくことのありがたさを、世界中に広めたいものである。