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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-04-02-Friday 馬肉を食べる文化

一日の四月馬鹿の日に馬鹿もんがスタートした。

「馬鹿もん」と書いて「うまかもん」と読ませるところがミソである。

NHKの1日の18:15〜の「ニュースネット北海道」の全道版の放送枠で取り上げてもらったし、十勝毎日新聞にも取り上げてもらった。また今朝の北海道新聞の全道版でも取り上げてくれたので、反響が大きかったように感じる。今後、読売新聞や毎日新聞にも掲載されることだろうと思うので、これを機にスタートダッシュを図りたい。

昨日のブログでも、馬肉を食べる県と食べない県があることを書いたが、何故なのかという質問が来たので、このブログ上で答えることで、質問者以外の人にも、その理由を知ってもらいたいと思う。

現在、日本の都道府県で馬を生産しているところは北海道・青森県・福島県・熊本県の4箇所でしかない。

馬を食べる場所というのは、馬産地以外では、東北地方や山梨・長野県などで、それ以西というか以南というかは九州まではほとんどみられない。日本の真ん中辺りの県がスッポリと抜け落ちているのだ。

その理由の一つは昔の、その地域で行われていた農業が「馬耕」であったのか「牛耕」であったのかによるところが大きいのである。

つまり、田畑を耕すのに、馬を使ったのか、牛を使ったのかという差なのだ。

少し前までは使役していた馬なり牛などが死んだ時には、農家はありがたくその肉を食べていたのだ。近所にも振舞って・・・。

食べずにお墓を掘ってそのまま埋めるなどということはとてもモッタイナクて出来ないことなのである。

この辺の考え方は、私の3月26日付けのブログ「生命を頂くありがたさ」を読んで欲しい。

だから、馬耕が行われていたところには馬肉を食べる文化があったし、牛耕が行われていたところには牛肉を食べる文化があったのである。

巷間よく言われている「世話になった動物が、死んだからと言っても、可哀想で食べられない」などという理由は後付けの屁理屈なのである。

昔の食料事情の悪い時代に、せっかくの食料を食べずに捨てる馬鹿はいない。犬や猫とは訳が違うのだ。因みに日本でも昔は犬や猿を食べていたようだ。さすがに猫は食べなかったようだが・・・。世界中で猫を食べる(た)という話はまだ知らない。

古来から日本人が四足を食べなかったというのも、建前上だけのことで実は頻繁に食べられていたようである。牡丹(猪)・櫻(馬)・紅葉(鹿)などという肉のことを表わす隠語がこれだけ拡がっていることがそれを証明している。

今回の「馬鹿(うまか)もん」を提唱した時に、「馬を食べるなんて残酷だ!」と言う人が何人かいた。「馬は人間の友達だ」というのである。菜食主義者が言うならまだ判るが、牛や豚や羊や鶏なら良くて、馬がダメだという理由を聞いても、皆、答えに窮する。

人間の役に立ってくれた動物は、最後までしっかりと食べてあげる方がよっぽど供養になると私は考えている。

昔、北海道に移住して来た人達の中には、その出身県によって、上記の理由で馬肉を食べる文化が生まれなかった地域がある。また北海道でも日高地方の人は馬(サラブレッド)に世話になっているから馬肉は食べないという。無理に食べたくないものを食べなさいというつもりはまったくない。サラブレッドは食べても美味しくないだろうから・・・。

しかし、帯広市に世界で唯一残った「ばんえい競馬」が無くなったり、馬肉を食べる文化が無くなったりしたら、食肉用の馬の生産も無くなってしまう。

馬とともに開拓されてきた北海道の馬文化の一つが消滅してしまうということだ。

妙な抵抗感を持って食べずにいて馬文化を失ってしまうのはまことにモッタイナイことである。

ファッションショーに出るスーパーモデル達は、馬肉を食べているそうだ。馬肉は健康に良くて肥らない肉だし、とても美味しいのだ。

もう一度、歴史を振り返ってみて、残すべき文化は残していきたいと考えている。

ただ、馬肉は生産量が少ない為に、とても高価だ。牛肉よりも高い。だから、皆が食べて消費量が増えれば、肉の値段も安くなるし、馬文化も残ることになる。

それでもなお、馬文化が無くなってしまうのだとしたら、時代の要請なのだろうと諦めるしかない。