昨日のブログに書いた内容が面白いのでもっと詳しく教えろ!という有難いメールを頂いたので、更に詳しく書くことにする。
でも、そんなに面白かったのかなぁ?
でも、ここから書くことはかなり私見が入り混じっていることを最初にお断りしておく。
私は高校一年生の時に梅原猛氏のいわゆる梅原史観に魅了され、新しい歴史観というものに感化された。その後、梅原史観を発展させたような井沢元彦氏の「怨霊」と「言霊」から歴史を見る井沢史観にも感化された。そして、ついこの前読んだ高田崇史氏の小説で更にそれが強化されたのである。
つまり、書物に表面上に書き表されていることは(必ずしも)真実ではないという考え方である。昨日のブログにも書いたことだが、「古来より日本人は基本的に四足の動物は食べなかった。食べる様になったのは明治の文明開化からだ。」という定説がどうも怪しいぞと考えたのである。
何故なら猪の肉を「ぼたん」、馬の肉を「さくら」、鹿の肉を「もみじ」、鶏の肉を「かしわ」(鶏は二足だから言い換えの必要はないはずだが)戸言い換えていることにひっかかりを感じたのだ。しかもそれは日本人の常識として広く世間で通用していたのである。
更に言えば、兎は耳が鳥の様だから数を数えるときの単位を「羽」と数えて鳥の仲間として食していたという事実が知られている。また、鯨は大きな魚として食べていたわけである。
これは、日本人の好きな「お約束ごと」で、「〜であるということにしておこう」という決め事をして、現実から逃れる術である。
つまり、動物を植物に言い換えることで、「これは動物の肉ではない、植物なのだ」ということにしておこうということではなかったのか?
植物なのだから食べても問題ないということにして食べていたということを物語っている証拠ではないのかと考えたのである。
井沢史観や高田史観と私の歴史観を合わせて考えると、古代日本の先住民族は狩猟民族であったことだろう。
だから当然ながら獣を獲って食べていたはずだ。そこに朝鮮半島から馬と鉄器(青銅器)を持った人達が攻め入って来たのだろう。武器の違いと機動力は圧倒的だから少人数の襲来でも、先住民は簡単に負けたのだと考えられる。その攻め入って来た人たちがやがて大和朝廷になっていくのだろう。(おそらく日本にはこの時まで馬は居なかっただろうと思う)
(つづく)