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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-04-09-Friday 高田崇史の

高田崇史の小説を

読み始めたのは3月29日の札幌出張からの帰りの列車の中からである。本屋に平積みされていた文庫本の中に「QED河童伝説」という文字を見つけて購入してからだ。

私は世の中の「不思議」といわれていることを研究しているから、奇術・魔術・手品・超能力・予言・UFO・UMA・妖怪・幽霊なども研究対象なのである。想像上の動物といわれているものも、そのいわれなどを調べるととても面白いのだ。

河童・天狗・鬼なども研究しているので「河童伝説」という題名に惹かれて買ったのであるが、これが実に面白かった。

いわゆる梅原猛史観や井沢元彦史観の流れを組む「怨霊」や「言霊」から日本の歴史を考察する、高田崇史史観に出会ったのである。

すっかり気に入ってしまい「QEDシリーズ」を買って来て、これまでに「式の密室」・「竹取伝説」・「百人一首の呪」・「六歌仙の暗号」の5冊を読んだ。

いずれの作品も面白かったが、特に、「式の密室」は平安時代の陰陽師(おんみょうし)安倍清明(あべのせいめい)に関するものだったので面白かった。

余談だが、私はこのブログで映画の論評をする時には、まだ観ていない人の為に、マジックの種明かしの様な無粋なまねをしたくないのでストーリーには触れないようにしている。同じく、単なる推理小説の論評では、犯人を教える行為は強く戒めているところだが、高田氏の小説は単なる推理小説ではなく、歴史ミステリーであるから、いささか趣が異なるのだ。もちろん歴史の謎と共に現代の殺人事件が絡まるストーリーであるから、殺人事件の方の犯人名などをこのブログに書くつもりはない。しかし、歴史の謎の部分に関しては、結論が判っていても、何故そのような考え方に至ったのかという経過が面白く読めるので「刑事コロンボ」のような楽しみ方もまたできると思うのである。

結論から言えば、式神(しきがみ)(陰陽師が使役するモノ、宮崎駿の千と千尋の神隠しの中にも出てきたが、紙で人型(人形代ひとかたしろ)を作ってそれに霊を宿らせて使役するといわれている)は、モノではなく普通の人間であるという考え方にショックを受けたのだ。当たり前と言えば当たり前の考え方なのだが、式神が清明には見えて、貴族たちには見えないという理由付けに感動すら覚えた。そうか!そういう考え方もあるか!と思ったのである。

「竹取物語」は、私はかぐや姫が宇宙人だと考えているので、高田氏の説には、異論があるものの、なるほどなぁ〜と思わせる考え方である。

「鬼」「天狗」「河童」などが、日本の先住民のいわゆる「まつろわぬ民(服従しない人の意味)」の末裔というのは、私もそうだと考えているので全く同感である。

「百人一首の呪」に関しては大学生の時に読んで感動した織田正吉氏の「絢爛たる暗号」に書かれていた百人一首が連鎖していて、何等かの意味を持っているという説の発展形で、高田氏は百人一首は「曼荼羅(まんだら)」であるとする説であるが、これもなかなか面白かった。「絢爛たる暗号」の出版以来、織田氏に刺激を受けた何人かが百人一首の謎を解こうと挑戦しているが、どれも結論に完全さや美しさが微妙に欠けていた。この高田氏の説には美しさが感じられる。選者である藤原定家の美意識を完全に反映しきれていなかったこれまでの説よりは説得力を感じた。

次の「六歌仙の暗号」につながっていき、六歌仙と七福神の関係性はとても興味深かった。高田崇史の頭の中は一体どんな構造になっているのだろうか?

これから、まだ読んでいない高田氏の「QEDシリーズ」を読破するつもりである。私が夢中になって読んでいるのを見て、妻が「何をそんなに熱心に読んでいるの」と聞くから、妻にも解説して読むことを勧めたのだが、全く興味がないようである。興味の対象が違うと、こんなにも好きな本が異なるのかという見本みたいな展開であった。