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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-04-11-Sunday 肉食異論

7日に書いた「馬肉を食べる文化」に

対しての異論が寄せられた。

「武士は戦で共に戦った馬を同士と感じて食べられない」という箇所についてである。

「戦で共に戦った同士」ならば馬の死体をいちいちお墓を作って埋めたのか?という疑問があるとのことである。

私も戦国時代に生きていた訳ではないから、自分の目で直接見てはいない。だから推測するしかないのだが、戦国時代の馬は貴重な戦力であったことは確かだろう。

初期の戦では、互いの馬は攻撃しないという暗黙のルールがあったようである。だが、戦というのは常識を破ることに勝機が生まれるのも歴史上の真実である。暗黙のルールを無視して、相手側の馬を狙って攻撃をすれば相手側の機動力は壊滅的なダメージを受けるだろう。果たしてそう考えない武将は存在しなかったのであろうか?

もし相手の馬を直接攻撃しなかったとしても、馬が凸凹の戦場で転んで骨折することだってあるだろうし、流れ矢や流れ弾に当たって死ぬことだってあるだろう。そんな時の馬の死体の処理はどうしていたのだろうか?という疑問は確かにあると私も思う。

同士というなら馬よりも一緒に戦った人間の方だろう。戦で死んだ人間は近所の農民たちが、おそらく纏めて穴でも掘って埋めたことだろうと思う。そのままにしておけば臭気も凄いだろうし、疫病の元になるし、カラスや野犬などの動物に喰い荒らされてしまうだろうからだ。

では馬も同様に埋めたのだろうか?

まさか人肉は食べないだろうが、馬肉はおそらく食べたのではないかと思っている。

武士も馬は食べないと言われているが、戦に於いての肉は、エネルギーの面からいっても貴重なたんぱく源である。干し肉にしてジャーキーのようにしておけば保存食にも携帯食にも最適である。

私がもしも武士だったら、一緒に戦ってくれた馬の肉を食らって、自らの体内に取り込んで「我が身と同化せよ!そして一緒に戦おう」と考えるがなぁ〜。

だいたいにおいて、仏教の不殺生から肉食がなされなくなった等と言う説は、何故、人間同士が戦をして殺し合うのかの説明がつかないではないか?そもそも不殺生というなら戦もやってはいけないだろう。人間を殺すのは良くて、動物を食べるのはいけないというのは論理がオカシイではないか。

古来の日本人の考え方は、動物の命を頂いている(天からの授かりもの)という感覚があるから、皮や骨なども余すところなく全て使っていたのである。それを平安貴族たちが血を「穢れ」として嫌って肉食をしないということに建前上しただけだと思っている。

前にも書いたが、貴族たちも鶴・白鳥・兎・狸などを食べている日記が存在する。牛や馬や猪や鹿などを建前的には食べないことになっているからこそ、桜・ボタン・紅葉のどと植物の名前を隠語や符丁にして、こっそり食べていたのだと考えている。

日本人の建前と本音を見分けるのは、なかなか苦労がいる作業である。

表面上の文章や言葉だけを素直にそのまま解釈しては間違える場合もあるということだ。