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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-05-15-Saturday 我が家の歴史③

先代が亡くなった直後に、

相続した息子が、大きな事業に手を出して会社を傾けるという事例が、私の身近にも数多く見られた。

皆、「先代よりも自分の方が能力があるんだぞ!」ということを早く世間の人に認めてもらいたいが為に焦って大きな事業に手を出してしまうのだろう。その心情は良く判る。

また、周りの人たちも「貴方が社長になったんだから、貴方が今ここで決められるでしょう?」などと即断即決を迫ってくるケースも増えるのだ。

私も父が病床に着いてからは実質的に社長業をやっていたのだが、ナンバー2とナンバー1とではやはり違いがあるのだ。

熟考したい事態が生じた場合は、父が病床にいてたとえ実際には相談できない状態であっても、生きててさえいれば、「社長に相談しなければ私では決められない」と時間稼ぎができるのだが、社長が死んでしまえばそれが出来ないのだ。

相手も巧みにその辺を突いて来る。ナンバー1というのはなかなか大変なものなのである。

私はこの経験から、他の団体で活動する場合でもナンバー1というポストには就かないで、ナンバー2のポストに就いて、実質的にはナンバー1の仕事をするという方法を選んだのだ。だが、後にこの方法も間違いであったのだが・・・。

私は父が死んでから1年間は喪に服すと称して、新しい事業には一切手を出さなかった。完全に開き直って、その間、他人を観察し、事業を頭の中で組み立てていたのである。

青年会議所でも目立った活動は一切やらなかった。死んだ振りをしていたのだ。

坂本ビルは更にテナントが抜けて、ガラガラ状態が益々進行した。世間では坂本ビルはもうすぐ倒産するのではないかと噂されたのではないだろうかと思う。

しかし、サニーデパートという物販のビルを飲食店ビルに変えるには給排水設備・給排気設備などを入れ替えなければならないし、エスカレーターは撤去、エレベーターは入れ替えが必要になった。中途半端な金額で収まる工事ではないし、期間もかなり掛かる。

これに失敗したら、まさに倒産だ。一世一代の大勝負であるから失敗は許されない。全身全霊を掛けてあらゆる角度から考えに考えたのである。

妻はこの頃の私は夜中によくウナサレていたと言うからかなり精神的にもプレッシャーを感じていたのだろうと思う。そのせいで髪の毛が薄くなったのかもしれない。

準備は万端整った。ダラダラと工事をする訳にもいかないし、工事が完成してからテナント募集をして、もし入居するテナントがいなければこれまたアウトなのである。

どうやったらお金を掛けずに世間にアピールできるか、その方法も考えた。これが今日の「国際環境大学構想プロジェクト」「北の屋台」「馬鹿(うまか)もん」などのメディアに協力してもらうPR方法に繋がっていくのだから、面白いものである。

新聞に掲載された途端に、入居希望の大手居酒屋チェーン店が3社も社長じきじきに来社してくれたのだ。

社長同士の話は早いもので、競合することはむしろシナジー効果を生み出すから歓迎するというのである。地下にあった既存の居酒屋を除いては・・・。これは以前のブログにも書いたのでここでは割愛するが、この地下に入居していた居酒屋の社長の説得には苦労したが、腹を決めて交渉したので、相手の社長さんにもその気迫が伝わったのだろうと思う。最終的には承諾してくれて、サニーデパートは、地階「つぼ八」、1階「いろはにほへと」、2階「白木屋」、3階「魚民」という大きな居酒屋チェーン店がそれぞれワンフロアーを使うという、当時はまだ日本のどこにもなかった飲食店ビルが出来上がったのである。(つづく)