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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-05-18-Tuesday 我が家の歴史⑤

95年度三役の経験はその後の私の人生を変えた。

2室4委員会50名のメンバーを預かる「国際環境大学構想プロジェクト」の担当副理事長に就任したが、50名のメンバーのほとんどの人が私の頭の中にある構想を理解できない様子だった。

4委員会それぞれの会議に顔を出して説明するのだが、なかなか解ってもらえないのだ。どうも私が手掛ける事業は、総じて最初は他人に理解されないようである。

言葉で説明するよりも現物を一緒に見た方が早いだろうと考えた。そんな時の12月17日に、玄定(ゲンジョウ)という三蔵法師と同じ読み方の名前の坊さんを紹介された(誰に紹介されたのかは思い出せない)。

この玄定さんが「アメリカのボウルダーという街のコロラド州立大学を見に行ったら?」と勧めてくれたのだ。

早速、紹介してもらったボウルダー在住の秋間美江子さんという方に連絡を入れて2月3〜10日の間にプロジェクトメンバー10数名でボウルダー市を訪ねたのである。この時期は日本円が85円程度の円高であったので、金銭的には随分と楽な視察旅行になった。

この秋間美江子さんとは、ついこの間の4月初旬にもコロラドスプリングスでお会いしたが、この95年以来お互いの家を行き来する親しい間柄になったのである。

95年当時はまだご主人の浩さんも健在であった。この秋間浩さんは元NHKの技術者で東京オリンピックの放送を世界に向けて発信するシステムを開発された方である。日本はその技術力をアメリカに出してしまったということになるわけだ。

我々の視察団は真面目に視察だけをしているものだから、秋間さんから「貴方たちは真面目なのね!せっかくコロラドまで来たのに観光もしないの?」と言われてしまった。せっかくだから最後の日に少しだけ観光をして帰ることにした。

このボウルダー市の視察はとても有意義だった。この視察に参加した団員が皆、この構想を肌で感じて共鳴することが出来たように思う。2月という早い段階で視察に行ったことが、その後の活動を随分とスムーズに進めることにつながったのだ。

また、この時の縁で、ボウルダー市からも帯広市に視察に訪れる人が出てきたのである。私が十勝・帯広は素晴らしいところだと吹聴したからである。4月6・7日は秋間美江子さんがアメリカ人女性1人を伴って来勝、23・24日にはボウルダー商工会議所のK・ジマーマン氏と秘書のブラント・玉木洋子さんが来勝した。

またボウルダーの秋間さん宅での勉強会の時に同席された大学教授のJ・寺田さんが6月10〜12日に来勝されたのである。このJ・寺田さんとの縁も面白くて、秋間さん宅で「私たちは北海道の帯広市から来ました」と言ったら、J・寺田さんが「我が家は東京で下宿屋を営んでいたが、そういえば帯広出身の鈴木さんという人が下宿していたなぁ〜。」と言うのである。詳しく聞いたら、私の借家の借家人である弁慶総本店の鈴木康昭さんであったのだ。世界というのは意外と狭いものなのである。(つづく)