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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-05-20-Thursday 我が家の歴史⑦

1993年は遊びまくっていた。

父が亡くなった92年5月2日からは仕事の上ではずっと死んだ振りをしていたのだが、遊びの方では赤穂浪士の大石内蔵助を気取って遊び呆けていたのである。

生来の怠け者だから、仕事をしなくても苦にはならないが、遊んでいないとイライラしてしまうのだから困りものだ。完全に開き直って遊びに興じていたのである。遊ぶ時には徹底して遊ばなければ中途半端は何も生み出さない。

この年のゴルフは43ラウンド、海外旅行はバリ島・香港、国内旅行は山梨・長野・三重・東京(3)・千葉(2)・茨城、道内旅行は札幌(5)・釧路(3)・弟子屈・北見・苫小牧・トマムと機会がある度に積極的に参加して、とにかく何でも事業のヒントになりそうなものを貪欲に見て回った。机の前で考えているだけでは良いアイデアは生まれないからだ。

この93年は年当初から変な感じがした。まずは1月15日(金)の成人式の日の20:06に震度5の地震が起った。この時、私は夜の動物園に居た。青年会議所で例年1月末に行われる「帯広氷まつり」の準備で、動物園でアイスキャンドル造りをしていたのである。地震が発生した時はちょうど一仕事を終えて休んでいる時だった。動物園入口にある小さな小屋の一番奥の席でおでんを食べていたのだった。その瞬間までうるさかった動物たちが一瞬シ〜ンと静かになったかと思ったらゴォ〜と地響きの音が聞こえてきて揺れ始めたのだ。小屋の前方に居たJCメンバーはすぐに小屋の外に飛び出したのだが、私と他の2人のメンバーは取り残されてしまったのだ。ストーブの上におでんが入った寸胴が乗っていたのだが、その中身が地震で揺れて、その勢いで石油ストーブごと倒れて大きな火柱が立ったのだった。火はかなり大きいし、後方には出口がない。大声で今飛び出した連中に消火器を持って来いと呼んでも誰も返事もしないのだ。「こりゃ〜まいったなぁ〜」と思ったが不思議と冷静であった。そうこうしている内に、ストーブの安全装置が作動したのだろう火が小さくなってきたので、3人で小屋を出て、雪を掛けて消火した。

外ではこんどは動物たちが騒がしい。先に外に飛び出した連中は、電話が繋がらないので自宅が心配だから作業を中断して戻ると言う。

氷まつり担当の委員長も今日は仕事にならないから作業を中止して、自宅に戻って良いと指示を出した。

何人かがあわてて車を発進させたが、動物園の前に掛っている橋で自動車が腹を閊えて先に進めなくなっている。橋が地震で15センチほど落ちたのだ。

後から出たメンバーはその横の道を通って帰って行った。我が家に到着したら、食器類がグチャグチャに壊れている。妻は子ども3人を抱えて裸足で庭に飛び出して無事だったが、私が不在でとても心細かったと言った(まだ、この頃は可愛気があったのだ)。

前回の地震の時には、会社は屋上の貯水タンクの栓が外れて、ビル中が水浸しになって大損害を被ったから、会社に被害状況を見に行ったが、前回の地震の後に地震対策をしっかりおこなっていたおかげで、書類が散乱した程度だけで済んでいた。

この年は氷まつり当日に雨が降るほどの暖冬で、期間前もアイスキャンドルが造れず難儀したのだった。(つづく)