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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-05-21-Friday 我が家の歴史⑧

93年3月25〜28日までGOGO会という勉強会で香港のヤオハンデパートを視察に行った。

このGOGO会というのは昭和55(1980)年に出来た帯広の若手経営者の勉強会で、会長はオカモトグループの岡本謙一さんである。私はこの年の3月に大学を卒業したばかりで、経営の勉強などしたことがなかったから父が勉強して来いと、強引に入会させられたのであった。

田辺経営にいて、独立してコンサルタントを開業したばかりの笠巻勝利さんという方が始めた経営塾のようなもので、私は当然ながら最年少であった。

この勉強会は毎月1回、2年間で24回のプログラムで終了したが、参加していたメンバーがその後も月に1度は集まって、情報交換をしたり、先進地視察をしたりしていたのである。

この香港視察旅行の最終日の28日(日)に札幌に居るいとこの勝昭(昭和15年生まれ)が、私と一緒に山梨県北巨摩郡の祖父の実家を訪ねたいと言って来た。

私は皆とは別行動で一便早い飛行機に乗って日本に戻り、成田から新宿に出て一緒に甲府に向かったのである。

この年、勝昭の父(私の伯父)の恒久(大正元年生まれ)の身体の具合が悪くなっていた(この93年7月1日に死去)ので生きている内に先祖のルーツを見て、恒久伯父さんに報告しておきたいと思ったのだろう。恒久伯父さんも祖父の実家を訪ねたことがなかったのだ。

私は昭和56(1981)年11月に父と2人で既に祖父の実家を訪ねていたので道案内をしたわけである。(祖父のことは以前のブログに詳しく書いてあるのでここでは割愛する。)

4月24日に父の一周忌法要を行うことが決まった。父の生前の関係者にご案内をしなければならないが、役職が多く、交友関係も広かったので300名超の大人数になってしまったのだ。1周忌のお返しの品に何か工夫をしたいと考えた。

ちょうど、藍染作家の角さんに依頼して、全作品が一品作の藍染の小さな額をお返しの品にすることを決めた。作品の題材は「坂本圭司」である。

そのまま、法要に来てくれた方にこの額を差し上げてしまうと、バラバラになって、せっかくの全作品を一堂に見る機会が無くなってしまう。

そこで、4月9〜11日の3日間、坂本ビルの6階の会場にこの全作品300点以上を展示して、一周忌法要にご案内した方々に見てもらい、その場で自分の好きな作品を選んでもらうことにしたのだ。そして、選んでもらった作品を一周忌法要のお返しの品としたのである。この催しはとても好評であった。新聞にも記事が掲載されて一般の方々も多数観覧に来てくれたので、作者の角さんもチョッとした展覧会が開けたと喜んでくれた。

私の方は、一人ひとり別々に選んでもらった作品を、その名前の方に配られるようにしなければならないから、やたらと手間が掛ったが、その分、父の一周忌法要をちょっとは変わったものにできたのではないかと自負している。(つづく)