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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-05-25-Tuesday 我が家の歴史⑫

会社の仕事が一段落したが、

ビル賃貸業という仕事はテナントが埋まってしまうと、普段する仕事がほとんど無くなってしまうのだ。

これ幸いにと、青年会議所活動に精を出した。「国際環境大学構想プロジェクト」を担当する副理事長として2室(地域政策室、文化国際室)4委員会(十勝夢プラン、都市モデル構想、教育文化、地域国際化システム)50名のスタッフのヘッドとして精力的に行動した一年間であった。

94年の12月の前段階から、それぞれの委員会を回り構想の説明をしたが、なかなか理解してもらえなかった。2月3〜10日までのアメリカコロラド州ボウルダー市の視察に行った辺りからようやくまとまりを見せ始めた。早い段階で視察に行ったのが幸いしたのだ。理屈でグズグズ説明するよりも、やはり、百聞は一見に如かずである。視察に同行したメンバーは共通認識を持つことが出来たし、帯広に戻ってからも視察に行けなかったメンバーに、行ったメンバーが視察内容を伝えることで意識の共有が出来たことと思う。

この「国際環境大学構想プロジェクト」のメンバーで95年の一年間を費やして「国際環境大学構想起案書」という34ページにわたる小冊子を発行した。

今、読んでも鑑賞に耐えうる内容であると自負している。また、このプロジェクトで95年一年間に22ものシンポジューム等のイベントを行った。

この時にメディアを引き入れて盛んに新聞等で市民に活動内容を知らせる手法を考え出したが、これは後の「十勝環境ラボラトリー」「北の屋台」「馬鹿(うまか)もん」等の活動にも生かされている手法である。

4委員会がそれぞれ担当の例会を持って、他の120名の青年会議所メンバーに活動内容を理解してもらうために、4人の講師を招いて例会を行ったり、プロジェクトとしてその他に3人の講師を招いて勉強会を重ねたりもした。この時に講師に招いた方々とは、その後もずっとお付き合いをさせてもらっているので、人の出会いというのはありがたいものである。

この講師の内の1人が5月例会で招聘した、当時信州大学教授だった山本哲士教授でこの方がキーマンになってその後の活動が進んでいくことになる。

この山本哲士教授は東京で文化科学高等研究院という大学を横断的に優秀な教授を集めた組織でそのメンバー(いずれも当時の肩書)には、福井憲彦学習院大学教授・高橋順一早稲田大学教授・陣内秀信法政大学教授・鷲田清一大阪大学教授・矢野雅文東北大学教授・橋爪紳也京都精華大学助教授など錚々たるメンバーがいた。またスポンサー企業にはソニー・NEC・キャノン・富士ゼロックス・資生堂・日産自動車など等これまた錚々たる企業がスポンサーになっていた組織である。

この文化科学高等研究院の山本教授が「君たちはなかなか面白い!」と協力を約束してくれたのである。

だが「青年会議所は一年毎に組織が入れ替わってしまうから、長期的な活動には向いていない。これまで全国のJCと一緒に活動した経験から、JCではダメだ。長期的な活動の出来る組織を作るのなら一緒に活動しましょう。」と言ってくれたのである。

そこで、1996年に帯広青年会議所のOBや現役会員を中心にして長期的な活動のできる組織として「十勝環境ラボラトリー」を創設することにしたのである。(つづく)