«前の日記(■2010-05-26-Wednesday) 最新 次の日記(■2010-05-28-Friday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-05-27-Thursday 我が家の歴史⑬

1995年は充実した1年間であった。

この年は海外にはコロラド州ボウルダー市に2月と10月の2回行ったし、ゴルフのじゃがいもクラブの年間賞でラスベガスにも行った。

地球環境問題の専門家や講師に会う為に何度も上京し、筑波や鎌倉にも行った。

JC三役としては、7月の横浜でのサマーコンファレンス、根室への北方領土視察、8月はキャンプ、9月には網走での全道大会、釧路でのスポーツ大会、10月には堺市での全国大会、北見でのブロック大会への参加など等。

帯広市の大学審議会の審議委員としては東京での数度の会議への出席。更にはこの間にも家族サービスとしてのトマムに2回とテルメへの家族旅行も忘れずに行っていたのだから、今考えると恐ろしい過密スケジュールである。若くなければ絶対できないことだった。掛った旅費だけでも半端な金額ではないが、この年に出会った人たちは皆、その後の私の人生においても貴重な人脈として現在に繋がっている。お金では買えない貴重な人脈が出来たのだ。

青年会議所などの組織で活動する時に「その他大勢」として活動するのはモッタイナイことだ。縁の下の力持ちというポジションの人が居なければ活動はままならないものだが、活動の中心人物として行動することで、交渉相手にも覚えてもらうことができるからだ。

また、この年は天災や事件が次々と起った年でもあった。1月17日の阪神淡路大震災、3月20日にはオウム真理教が地下鉄サリン事件を引き起こした。この時の日記には「地球や社会の不満が爆発したかのような感じだ」と書いている。

11月16日(木)にとかちプラザでこの1年間の「国際環境大学構想プロジェクト」の集大成「国際環境大学構想スーパーシンポジューム」を開催して、「起案書」を発行した。

この起案書を全国各地の環境問題の専門家や大学教授らに送って協力を要請したのである。

帯広青年会議所は十勝・帯広に新しく創る大学は「地球環境問題」を文系の目線で捉えて、今後必要な人材となる企業の「環境マネジメント」が出来る人間を輩出する世界初の大学にするように提案をしたのである。

帯広市が2001年開学を目指す大学を「国際環境大学」とするように、大学審議委員会で強力にプッシュしたのだが、他の審議委員たちは、地球環境問題に対する理解が少ないようだった。最初の卒業生が大学を出るのは2005年である。この時に卒業生が企業から引く手あまたであるような大学を創らなければ、経済や法律を教えるような大学では意味はないとまで言ったのに理解されなかったのだ。十勝の知識人と云われている方々の先見性って???

現在は「地球環境問題」を考えない企業は生き残っていけないといわれている時代である。

調査している時点でのピークの系統の大学を創っても意味が無いのだ。開学してから5年後10年後の社会の要請に合った大学を創る必要があるのに・・・。

歴史に「もしも」は禁句なのを承知であえて言わせてもらうならば、2008年に開催された洞爺湖サミットの主要テーマは「地球環境問題」であった。北海道に地球環境問題を大学の設立理念に持つ大学がその時に存在していたなら、世界的な注目を集めていたのではないかと悔やまれる。

12月22日に開かれた帯広市の大学審議会でも、結局この年には結論が出ずに終わったのであった。(つづく)