«前の日記(■2010-06-03-Thursday) 最新 次の日記(■2010-06-05-Saturday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-06-04-Friday マイヒストリー3

1997年1月15日に、

タレントの田中義剛が十勝環境ラボラトリー(TKL)の事務所にやって来て、相談したいことがあるからと寿司屋の寿司正に招かれた。

2月に中札内で犬橇レースをやるというのだが協力して欲しいということで、結局、そのコース造りの為に、真井会長のスノーモービルを貸すことになったのだ。

田中義剛との接点は95年三役の時に、帯広空港近くのドイツ村グリュック王国で井上理事長と田中義剛との会談をセットしたことに始まる。ちょうど田中義剛が中札内に移住して花畑牧場を開設した時だった。

真井会長との接点は田中義剛の奥さんが真井会長の慶愛病院で出産したことによるものだ。当時はまだあまり上手く運営出来ていなかった花畑牧場は、いろいろな伝で十勝の人間を頼っていたのだ。これをキッカケに田中義剛との交流が始まったのである。

我が家もサニー&バニーというラブラドール・レトリバー犬を96年に買ったばかりだから犬の躾をしたいと思っていた。当時の花畑牧場には村中という優秀なドッグトレーナーが居たので、毎週犬を連れては中札内に通い出したのである。

最初は犬の調教で、それが一通り終わったら犬のディスクドッグ競技に誘われたのだ。フリスビー(円盤状のおもちゃ)を遠くに投げて犬を走らせてキャッチさせる競技である。

その内に、田中義剛が花畑牧場に馬術練習場を造りたいと言い出した。真井会長が協力してやれというので、TKLのメンバーからお金を集めて馬場に撒く砂利代を負担してあげたのだ。田中義剛もそのお礼に毎週、馬術教室を開くから通って欲しいというので、義父や妻と一緒にヘルメット・ズボン・手袋・ブーツなどを買い揃えて5月18日から通ったのであるが、3,4回やったところで馬の調教師が九州に行くことになったと言って休止になってしまった。以来、今日に至るも馬術教室は再開されていないが・・・。

乗馬関係では、TKLメンバーの後藤健市(北海点字図書館)の関係で、6月18日に花畑牧場の乗馬場で「視覚障害者の乗馬体験」なども行った。

4月22日に田中義剛がTKLの事務所を訪ねて来て、今度は「フリスビードッグとアジリティの大会を帯広で開催したいからスポンサー探しに協力して欲しい」と言うのである。当時、テレビCMで犬を使った場面を流していた第一熱源という会社を紹介して欲しいというので、24日に社長に会わせてあげたら、気前よくOKが出た。資金面は何とか手配できたので今度は会場である。5月1日に市役所に連れて行って場所も確保。その後も打ち合わせの度に市役所に同行したり、中札内まで出掛けて準備を手伝ったりした。

8月17日の日曜日に帯広の森の「創造の森公園」を会場にして「第一回ドッグフェスティバル」を開催し、私もボランティアスタッフとしてまじめに汗を流したのであった。

妻もバニーと一緒にアジリティ競技に参加したが、バニーは優秀な犬なので2部門で入賞したのだった。

私もサニーくんとフリスビー競技に参加するように熱心に勧められたのだが、駄犬サニーくんはフリスビーを空中でキャッチする時に背中から地面に落ちるという運動神経の無い犬なので、とても恥ずかしくて参加できなかったのだ。

馬術教室はなくなったものの、犬のフリスビーの方は10月中旬までは続いていたが、犬の調教師の村中氏が花畑牧場を退職したので、我が家も、花畑牧場とは段々疎遠になっていったのだった。(つづく)