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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-06-09-Wednesday マイヒストリー7

商工会議所の方も新会頭が決まらないまま

97年11月11日に商工会議所の第22期の議員選挙が行われた。

話は遡ってこの3年前の94年、私は、父が商工会議所の1号議員(任期3年間)をしていたので、父が亡くなった後の1992年から第20期の議員を務めていた。当時、私は最年少34歳の議員であった。

任期残存期間の2年間議員を務めたが、商工会議所というところは、私の性格には合わない組織だと感じていたので、94年に迎えた改選期(第21期)には、立候補をしないつもりでいたのだが・・・。

私と同じ様な境遇(父親が議員だったが死去して、代わりに議員になった青年会議所の現役メンバーである先輩)のF氏から「どうせ、選挙になんかならないから、届け出だけ一緒にしておいて、選挙になったらその時に去就を考えても良いんじゃないか?」と言われたので、その言に従って立候補の届け出だけはしておいた。

ところが、94年の第21期は事前の調整(選挙にならないように候補者を降ろさせる)が上手く行かなかったようで、定数45名に対して50社が名乗りを上げたのだった。

私の会社に会議所議員のM氏から「今から行くから・・・」と電話が入って来訪をうけた。

何の話かと思ったが、M氏は「私は亡くなった貴方のお父さんの三中時代の教え子なんだよ」と言う。知ってはいたが「ヘェ〜そうだったんですか」と返すと、今度は自分の息子の結婚式の席順表を拡げて「この席には○○、ここには△△、ここには□□」と著名人や芸能人の名前が書かれた場所を指し示すのだ。どうやら「俺はこんな有名人たちと懇意にしているんだぞ!」とでも自慢したかったのだろう。

私はこの人は一体何をしに来たのだろうか?と訝しく思っていたら、「君はまだ若いからこれから何ぼでもチャンスはある。だから今回の会議所の選挙は、私の顔を立てて降りてくれないか?」と言うのである。もとより選挙になったら降りるつもりでいたのだが、顔を立てる相手が悪かった。他の人物が来たのならスンナリ「ハイ、辞めます」と言っていたものを・・・。

このM氏は評判のあまりヨロシクナイ人物であるから、この人物の顔を立てて降りたりしたら「坂本は、私が降りろと言ったら簡単に降りた。」と言って回るだろう。そう言わせる訳には絶対にいかないと思ったのである。

結局3社が辞退したが、それでも2人、候補者数が上回ってしまったので、21年振りに選挙になることが決定したのであった。

私とF氏の2人が余分なのであるから、目の敵にされてしまった。

「つまらぬ戦いをしたくはないが、戦う以上は絶対に負けない!」というのが私の信条でもある。それから、票を集めに走りに走り回ったのであった。

商工会議所の議員選挙というのは、公職選挙とは全く異なるシステムで行われる。商工会議所の会員企業が出資する口数に応じて投票する券を持つのである。まず1号議員に立候補する企業は50口(一口5千円)25万円の出資をしなければならない。大抵の会員企業は1〜3口程度の口数(=票数)を持っている。これを白票のまま「私に下さい」と言って集めて回るのだ。大きな会社になると5〜10口持っているところもある。そういう会社から票をもらえたら楽なのだが、選挙になると判明した瞬間に全員の立候補者が集票に走るから、当然そういう大きい会社から順番に狙うのである。

また、票を金で買う様なこともできるのだ。投票日の前日までは会員企業の増口は自由だから、例えば1口しか持っていない企業に出向いて、5万円を渡して10口の増口手続きをしてもらえば合計11票を獲得できるのだ。選挙が終わった翌年にまた減口手続きをすれば良い。だが、こんなことをする人は少ない。なるべく足で票を稼ぐのである。

私は、幸いにも当選ラインに十分に届く数の票を集めることができたのであった。

こういうゲーム的な要素があるものは、もともと大好きな性分なのだ。(つづく)