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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-06-10-Thursday マイヒストリー8

さぁ、投票日になった。

この投票システムも変わっている。各企業からもらって来た白票に、自分の名前を書いて投票するのだが、時間内なら何度でも投票することができるのだ。

総得票数が18000票ほどだから、それを立候補者数の47人で割ると382票になる。つまり、382票を持っていれば絶対に当選するわけである。

まず、私は、このラインに近い370票を自分に入れた。なぜ、全票入れずにそんなことをしたのかといったら、先に書いた私と同じ境遇のJCメンバーであるF氏が、ボーダーラインギリギリの票数230票ほどしか集められなかったのに、呑気にもJCの行事で出張したというのだ。

彼は自社の社員に投票を託して出張してしまったというのである。その社員は朝方に、託された全票の230票ほどを投票して自社に戻っていたが・・・。

そのことを最初に投票する時に、その社員から聞いて初めて知ったのだった。

同じ境遇で、しかも同じにM氏から辞退を迫られて拒否した仲間だから、彼を落とす訳にはいかないと思ったのだ。

商工会議所の選挙は変わっている。

投票日には時間内なら何度でも投票できるシステムだから、ボーダーラインギリギリに居る人たちは、選挙人名簿(商工会議所の会員名簿)を見ながら必死に電話を掛けて、まだ誰にも渡していない票がないかを掘り起こして、集めて来ては自分に投票することができるのだ。

さすがに、誰も落ちたくはないから、皆が必死に集票して来て、ボーダーラインは少しずつ上がって来る結果になって、ついに、F氏の社員が朝方に入れた票数がボーダーラインを割ってしまったのである。

私はこういう投票システムだから当然こういう事態になるであろうと予想していたが、まさか彼が投票日当日に、呑気に出張しているとは思わなかったから、事前にF氏とは打ち合わせなどはしていない。すぐに携帯でF氏に電話するが繋がらないのだ。

彼の会社に電話して、朝方投票していった社員を呼び出して、「票はもう持っていないのか?」と尋ねたら「無い」と言う。このままでは彼は落選してしまう。

他社がそれ以上もう投票できない、締め切り時間ギリギリに私の残票を全部F氏に投入することにして、推移を見守った。

結局、彼に私の残票30票ほどを回してあげて、彼は45人中の43番目(263票)、次点(243票)で落選した人とは20票差で辛くも当選することができたのだった。ちなみに44・45番目の人は同数票(259票)でその差は4票であった。私が持っている全票を一度に自分に投票しなかったから良かったのだ。

この第21期が94〜97年までの任期であった。

この第21期を終了したので、私も商工会議所を辞められると思ったのだが、次の22期というのが、新会頭が決まらずにゴタゴタしていたのだ。

会頭候補の筆頭であった藤本長章副会頭が会頭就任を固辞したところから始まった騒動である。

いろいろな候補者の名前が出ては消え、出ては消えしていた。その内、商工会議所の若手議員が年輩議員の密室政治に反発して、ある議員を新会頭に推す会合を開くから集まれと言われた。「私は今期で会議所を辞めるつもりなので行かない」と言ったら、「お前なぁ〜帯広の経済界の未来が掛っているのにそんな態度で良いと思っているのか?」と怒られたのである。「辞めたくても、もう一期だけお礼奉公のつもりで務めてくれ」と懇願されて辞めるに辞められなくなってしまったのだ。

11月11日に行われた選挙は定数45に対して49社の立候補があり、前回に続いて投票が行われた。今回は新しい会頭を選ぶ選挙だから、年輩議員と若手議員の争いみたいな団体戦の様相になったのである。

選挙が終わってから、何度も議員総会が開かれるが一向に新会頭が決まらないのだ。結局川上会頭の任期を5カ月間延長して98年5月に岩野洋一新会頭が決定したのだった。(つづく)