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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-06-12-Saturday マイヒストリー10

十勝環境ラボラトリー(TKL)の

「十勝川水系調査プロジェクト」では、95年から親しくなっていた、私と同い年の然別湖ネイチャーセンターの崎野隆一郎という鹿児島出身の野生児に頼んで「熱気球」に乗って上空から鳥の目線で郷土を眺めようという活動も行った。

最初にテスト飛行で熱気球のフリーフライト(地上との間に綱を付けずに自由に風任せに空を飛ぶ)に乗ったのは96年4月22日であったが、私は大人になってからは高所恐怖症気味で、高いところはあまり得意ではない。熱気球も乗るのも最初はとても嫌だったが、プロジェクトの為なら仕方がないと諦めて乗ったのである。この時はまだ恐怖心の方が勝っていて、籠の外に顔を出しで見るような余裕はなかった。

2回目は97年4月4日に、今度も崎野氏のネイチャーセンターの手配で2基の気球で、フリーフライトで並んで飛んだのだが、これが最高の気分であった。2回目ともなると余裕が出てきて下の景色を眺めることができるようになったのだ。

高度も2000メートルにまで上がって日高山脈の向こう側(上川地方)まで見えたし、高度300メートルくらいで風にゆったりと流れていると、下でエゾシカや北キツネが走っているのが見えたりもした。

バルーン部分が風に流されるから籠に乗っていると風を感じないのだ。

着地する寸前がこれまた最高で、地上から20㎝位の高さのところを畑に降りないようにあぜ道まで水平飛行するのだが、まるで魔法のじゅうたんに乗って横滑りしているような感覚になるのである。こんな素晴らしい乗り物はない。以来、すっかりはまってしまって毎年の様に乗っているが、私の家族はまだ一度も乗ったことがないのだ。いつも誘うのだが最初の私の様に嫌だと言って乗らないのである。実にモッタイナイ。

こんなに十勝の雄大さを感じさせてくれる乗り物は他にないと思うのだが・・・。

夏期間はカヌーで川下りして川の目線で郷土を眺めようというプロジェクトがあった。明治の開拓当初に道路が無かった十勝は、海沿いの町大津から十勝川を遡って内陸へと入植してきた。先人はまず十勝を川の目線で見たのだ。だからそれに倣って川の目線で見る十勝がどのように見えるか試そうというのである。

きっかけは96年7月28日の「十勝川いかだ下りレース」に参加したことであった。十勝川では毎年、夏になると「イカダ下りレース」が行われるが私はこれまで参加したことがなかった。一回やってみると川下りがすっかり面白くなってしまい、10月13日には崎野氏の然別湖ネイチャーセンターに頼んでカヌーを4隻出してもらい、私も8人乗りのゴムボートを買い込んで十勝川の上流の芽室町から十勝川温泉までの川下りをやったのである。

私は根っからのインドア派で、キャンプやカヌーなどは興味も無かったのである。

やってみると、これも面白くてすっかりはまってしまったのだった。

インドア派だった私が、この年97年からは、熱気球、カヌー、ボート、乗馬、犬橇、フリスビードッグなどすっかりアウトドア派になった年であった。

人間関係の面白さも味わった。1月に公開講座に招聘した石山修武早稲田大学教授がジャズサックス奏者の坂田明さんと友人関係だというのだ。坂田さんは当時、帯広の郊外に練習場の家を設けていて既にその時にはTKLとも交流があったのだが、その話をしたら、石山教授がそれなら是非会いたいと言い出した。その時には坂田さんは不在だったが、2月初旬には帯広入りするとのことなので、その時に坂田邸でアイヌの人たちと石山教授と私とで一緒に懇親会を行ったのであった。それが縁で坂田さんとも交流が深まり、坂田さんがプロディースするポロシリ音楽祭(7月20日)にも関わりを持つことになった。

また、話が前後するが、文化科学高等研究院のスポンサーの飛島建設が東京でやっていたプティミュゼという美術館の関係で、名嘉睦稔(なか ぼくねん)という後に「ガイアシンフォニー地球交響曲」にも出演することになる沖縄の画家と坂田明さんの共演が96年10月27日に実現し、招待を受けて観に行ってきたりもしてきた。TKLのお陰で人脈がどんどんと広がっていったのである。(つづく)