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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-06-24-Thursday マイヒストリー15

99年2月24日に第一回目の会合を持った

「まちづくり・ひとづくり交流会」であるが、司会進行を私が務め、この会独自のルールを定めた。

① 構成員の出入りは自由:入会したければいつでもOKだし、辞めたければいつ辞めても

OK。

② 30分ルール:会議に初めて参加する人は、会議開始の30分前に来ること、私がこの30分間でそれまでの会議の流れを説明することで、会議に溶け込め易いようにした。

(私自身も、会議の流れを再確認できるので進行がスムーズになる利点がある。)

③ 発言ルール:他人の意見の否定はしないで、自分の意見のみを述べること。最低一回は発言をすること。

④ 友人勧誘ルール:毎回別の人間を一人は連れてくること。

というルールを作ったのである。

実際に①のルールによって随分と多くの人間の出入りがあって、最終的にメンバーが確定するのは99年の11月になってからであった。

毎回、全員に発言させるし、人が入れ替わるから、会議はなかなか前に進まないという問題もあったが、②の30分ルールによって会議は毎回活発な意見交換があったのである。

4回におよぶ帯広市の歴史の勉強会がとても良い結果を導いてくれた。

最初は「中心市街地なんて必要ない」と言い切っていた若者たちが、勉強会を重ねて帯広の中心街が交通機関の変遷と共に移動してきたこと、現在は中心街が消滅の危機にあること、帯広のアイデンティティーは何かということなどを、真剣に考えるようになったからだ。

この4回の帯広市の歴史勉強会で「自分たちの資金と行動力で、帯広市の中心街を活性化させよう」という共通認識が生まれたのである。

2月、3月の4回の勉強会が終了し、4月になって「まちづくり・ひとづくり交流会」では、メンバー全員が同じ金額の資金を出し合って活動原資にしようということになった。誰かが大きな金額を出すことも可能ではあったのだが、それでは依存型のまちづくりと大差がないからということである。

メンバーに帯広畜産大学の学生が一人いたので、その学生が出せる金額に合わせることになった。彼は1万円が限度だというので、40名のメンバー×1万円=40万円が原資になる。この40万円で出来る活動にはどんなものが考えられるかディスカッションした中で、メンバーのひとり後藤健市君が「屋台」でまちづくりをしようと提案し、メンバーは盛り上がっていた。が、私は最初、屋台には懐疑的であったのだ。

当時私は、屋台に対して「廃材を利用して作った小汚い飲食のもの」というイメージが頭にこびりついていたのである。屋台のような小汚いものを並べたところで街が活性化するとは到底思えなかったのだ。ところが、メンバー皆が屋台は面白そうだと言うのである。

他人の意見を否定してはいけないというルールを自分で作った以上は、皆が屋台で盛り上がっているのに、屋台はダメだなんてとても言えなかったのである。

仕方なく、図書館に出向いて屋台のことを調べようと思ったのだが、図書館には屋台のことについて書かれている本が無かった。インターネットで検索しても、博多の屋台の宣伝のようなものしか出てこない。資料が無いなら自分たちで資料を作ってしまえば良いということになった。

海外旅行に行った際に屋台の様なものを見かけたら、バンバン写真を撮って来い。そしてその状況を皆に報告しろということにしたのである。

そんなおりに、まず私が6月21〜28日まで帯広商工会議所の議員の視察旅行でアメリカのシアトル・ポートランド・ロサンジェルス・ラスベガスに行った。

アメリカには屋台なんてないだろうと思って行ったのだが、行く先々の街でたくさんの屋台を見かけ、そのどれもが賑わいを持っていた。

私はアメリカに行く前には、屋台は「飲食」のものと思い込んでいたのだが、アメリカの屋台には「飲食」「物販」「パフォーマンス」の3種類があることが判った。

花屋などの屋台が街角に彩りを与えるし、商店街では広過ぎる道に屋台を並べて狭く演出するという方法があることも判ったし、学生に屋台を安く貸し出して、商売のインキュベーターの役割を果たしていることも判ったのだ。私はこの時に屋台の写真を120枚ほども写して来た。

この6月のアメリカ視察旅行で私はすっかり屋台推進派に変貌するのである。

アメリカから戻って来て、すぐに屋台を使ったまちづくりのプランを考えた。屋台の写真集を作成し、「まちづくり・ひとづくり交流会」は屋台でおおいに盛り上がっていった。

この活動内容が新聞でも紹介されたことで、7月になって、この活動を耳にした北海道通商産業局(現:経済産業局)の役人がTMOの件で帯広入りするに際して、オブザーバーとして会議に出席したいと言ってきた。

この役人が「屋台を使ったまちづくりプラン」という小冊子と「アメリカの屋台写真集」が欲しいと一冊ずつ持ち帰り、7月末に私のところに電話をしてきた。「東京の全国中小企業団体中央会に話を通しておいたから連絡を入れるように」と言うのだ。

電話してみると、担当者が電話では話が伝わりにくいから、直接話がしたいので上京して欲しいと言う。8月2日に私が上京して事務所を訪ねると「貴方たちの活動はとても興味深い、8月下旬締め切りの補助金があるから、応募しないか?」というのである。条件等を聞くと1000万円の活動資金の内の600万円が補助金で400万円は自己資金で賄わなければならないし、「まちづくり・ひとづくり交流会」は任意団体だから補助金を受けられない。然るべき法人格を持った団体に受け皿になってもらって、その構成員として活動するならば可能とのことである。即決はできないから帯広に戻って皆と相談して返答することにして一応、応募方法等の詳細を聞いて戻ったのである。(つづく)