«前の日記(■2010-06-27-Sunday) 最新 次の日記(■2010-06-29-Tuesday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-06-28-Monday マイヒストリー16

自分たちの資金40万円だけで活動するつもりでいたから

補助金のことなど眼中になかったので説明を聞いて戸惑った。

東京から帯広の各所に電話して、翌日からのアポイントを取った。なぜこんなに急いだのかといえば8月6〜16日まで家族旅行の日程が入っていたからである。

この補助金の申請の締め切りが8月下旬であるから、家族旅行に行く前に決めておかなければ間に合わないのだ。

3日の最終便で帯広に戻ったその足で、まずはTKLの幹部を緊急招集して話し合った。皆、「せっかく補助金を貰えるというなら、貰って活動しよう。40万円では大した活動はできそうにないと思っていたから丁度良いタイミングじゃないか!」「自己資金の400万円は出せる人間が出し合えば良い」「受け皿は坂本が交渉しろ」ということになったのである。結局400万円の内の150万円を私が、S会長が50万円、T副会長が100万円、もう一人のT副会長が100万円を出すことで自己資金の400万円は何とかなったのである。

問題は受け皿の方であった。

4日の午前中に私のビルに入居している「帯広市商店街振興組合連合会」を訪ねた。東京から電話して事前に理事長に会いたいとアポイントを取っておいた。

事務所を訪ねるとあれほど確認しておいたのに理事長は不在で副理事長が対応したのである。

商工会議所の議員で商業委員長もやっていた副理事長は7月19日の商工会議所の商業委員会に私を招いて屋台の事を議員に説明させ、説明終了後には「若い人たちの発想と行動力は素晴らしい。応援するから何でも相談においで」と言っていたのであるが・・・。

この副理事長は先のTKLが作成した「TMO提言書」を私の目の前でゴミ箱に捨てたご仁でもあるのだ。

案の定「屋台なんぞで街が活性化するはずがない。これからお盆の平原まつりの準備で忙しいから、こんなことで緊急の役員会を招集する暇はない。」と言う。私もあっさりと「そうですか!では結構です。お時間を作っていただきありがとうございました。」とたったの5分程でこの事務所を出たのであった。

この時に商店街振興組合の事務局長をしていた人がこの副理事長に「屋台は絶対に上手くいかないから関わらない方が良い」と強くアドバイスしたからなのだと、後日、商店街振興組合をクビになった事務局長から直接に屋台で聞いたことがあった。副理事長本人の意志か否かは関係がない。商店街を振興させる部署にいる人間が新しい活動の芽を摘んでどうするというのだろうか!

次に向かったのは帯広商工会議所である。こちらも事前に専務理事にアポイントを取っておいたが、こちらも同じような反応である。私が「一切迷惑は掛けない。報告書も金銭の管理も全部自分たちでやるから名前だけ貸して欲しい」と言っているのに、「三役を招集して決めなければならない。お盆休みが近いから無理だ」と役人みたいなことを言うのである。

そこで、商工会議所の副会頭でTMOを担当していた吉田勝副会頭の自宅に電話して訪ねたのだ。吉田副会頭は「何でそんな良い話を、商店街や商工会議所が断るのだ?一切の煩わしさは皆、貴方たちが引き受けるのだろう?名前だけ貸せば良いのだったら、私が責任を持って三役や議員を説得するから、貴方は安心して家族旅行に行ってきなさい。帰って来た頃には万事上手くいっているから」と言ってくれたのである。

しかし、万が一商工会議所がダメだった場合も想定しておかなければならないと思い。私が専務理事を務めている「帯広みやげ名店会」という協同組合の了解を取っておくことにした。この協同組合は、六花亭・柳月・竹屋・豆総・坂本商事の5軒で作っている組織である。それぞれの社長にアポイントを取って訪ねて行き、説明をして了解を取り付けたのだ。六花亭の小田豊社長は、商工会議所なんて面倒な組織を使わずに、最初から「帯広みやげ名店会」でやっても良いぞと言ってくれたのだ。まちづくりをやる時には、吉田さんや小田さんのような物分かりが良い人が居てくれないと先に進まないのだ。

結局、吉田副会頭の尽力で商工会議所が受け皿になってくれることが決定し、9月から1000万円の資金を使って「帯広商工会議所 北の屋台ネット委員会」として活動していくことになる。(つづく)