«前の日記(■2010-06-30-Wednesday) 最新 次の日記(■2010-07-02-Friday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-07-01-Thursday マイヒストリー17

私の性分は困ったことに気になったことは

徹底して調べたくなってしまうことだ。

先述したように、図書館やインターネットにも屋台に関する資料が載っていないから、ここは海外に行って実際に実地検証をするしかないと考えた。

まずは、商工会議所の議員研修旅行で6月21〜28日にアメリカのシアトル・ポートランド・ロサンジェルス・ラスベガスを回って屋台の面白さを体感して屋台推進派になった私は、家族旅行で8月6〜16日までアメリカのオーランドに行った時も屋台を見かけるとバシャバシャと写真を撮りまくったのだ。

こうなると、屋台がまちづくりに有効な道具のひとつであることを論理的に証明してみたくなってしまう。アメリカの屋台だけの調査では面白くない。もっと他の地域も調べたくなってしまったのだ。

「まちづくり・ひとづくり交流会」のメンバーに海外視察を働きかけたが、屋台を視察しに、自費で海外にまで行こうというメンバーがなかなか現れないのだ。青年会議所(JC)の活動は全てが自費で賄われるから、当然、旅費なども会議所から出ることは一切ない。だから中心で活動すればやたらと経費が掛かり、自分の懐はその分涼しくなることになる。私はそれが当り前だと思っていたが・・・。

成功するとは思えない活動に、金と時間を掛けて、もしも失敗したら無駄金になるとでも思ったのだろうか?

海外にまで自費で屋台の検証に行くというのは金銭的にも時間的にも難しいことだったのだろう。

仕方がないので9月4〜9日まで台湾に一人で視察に行って来た。香港にも行こうと思ったのだが、私一人ばかりが視察に行ったのでは、バランス上もまずいと考えて、TKLの事務局員の女子2人にお金を出してあげて同じ9月初旬に香港を視察してきてもらうことにした。「写真を沢山撮って来いよ」と言ったのだが、20枚ほどしか写して来なかったのだ。香港の屋台の人にカメラを向けるとギロッと睨まれるので恐ろしくて撮れなかったと言うのである。

確かに私も台湾の屋台で写真を撮っていて、屋台の人に追いかけられた経験があったから、女2人での海外での屋台調査は厳しいと感じたのであった。

補助金では海外視察には行けないが、国内視察ならOKである。自費で海外に行ってもらうのは難しいから、この国内視察に大勢で行くことにした。

17名のメンバーが参加して10月21〜25日まで福岡・広島・呉・大阪の4都市を観に行くことにしたのだ。

北海道新聞と十勝毎日新聞の記者にも働きかけて一緒に同行取材をしてもらった。この視察を詳しく記事にしてもらい一般の市民にも知らせようと考えたのだ。道新も勝毎も記者が競って原稿を書いて本社に送り、特集の囲み記事でそれぞれ4回ずつも連載してくれたので、広報活動はバッチリ上手くいった。

21日の夕方に福岡に到着してすぐに視察を開始した。屋台を運んで組み立てているところから取材するためだ。一旦ホテルに集合して4つの班に分担を分けて視察することにした。博多はこの当時200軒以上の屋台が営業していたからだ。各班は夜中の2時過ぎまで掛って屋台を視察して歩いたのだった。

私はこの国内視察で、大ショックを受けることになる。それは福岡市役所の屋台の担当者を訪ねた22日の午前中の事だった。17名で視察に行ってはいるが、メンバーの半分は物見遊山で「福岡市役所を訪ねるなんて退屈な事には参加したくない。せっかく、博多まできたのだから観光をしたい」と言うのである。楽しい屋台巡りには参加するが市役所での退屈なレクチャーには参加しないで観光に行くと言うのだ。

結局、この時に福岡市役所に私と同行したのは帯広市役所職員・帯広商工会議所職員・大学助教授・コンサルタントと新聞記者2名の合計7名だけで、他の10名は博多観光に行ってしまったのだった。

この福岡市役所の担当者が「屋台は法律で新規参入が出来ない。博多でも現営業者一代限りの既得権と決められているからいずれこの博多からも屋台は消滅する運命にある。貴方達が屋台を使ってまちづくりをしようとわざわざこの福岡まで来られたが、屋台は法律上無理だから、さっさと方向転換した方が良い・・・」という挨拶を最初にするのである。(この視察の内容は後日詳細を書くことにする)。博多の後に呉の屋台を見て少しは光明が見えてきたように感じた。行政が条例を変更しさえすれば屋台は可能だと思ったのだ。

私はそれなら、もっと海外の屋台を研究して、日本の現状の屋台とは異なる方法を考え出してやろうと思ったのだ。法律が厳しいシンガポールなら何か収穫があると思い、国内視察から戻った次の日の27〜31日までシンガポールに急遽出掛けたのである。

ダメだ、無理だと言われると逆に燃えてしまう性分なのだ。だから絶対に屋台でまちづくりを成功させてやると心に誓ったのだ。

しかし、私一人だけが視察に行くのも会の運営上のバランスが悪いと思い、頼み込んで他のメンバー2名にも11月中旬に韓国のソウルに視察に出向いてもらったのであった。(つづく)