日本映画の「金環蝕」と「不毛地帯」を見た。
どちらも今年生誕100年を迎える山本薩夫監督の作品である。
最初は見るつもりがなかったのに、見始めたら面白くなって最後まで見てしまったのだ。
見ている内に、どちらの映画も映画館で見た記憶があることを思い出した。「金環蝕」が昭和50(1975)年、「不毛地帯」が昭和51(1976)年作品と表示されていたから、たぶん帯広劇場で見たのだと思う。
当時、父が帯広劇場の株主で、毎月何枚かの株主無料招待券が送られてきていたから、東宝系の映画は「社長シリーズ」「若大将シリーズ」「ゴジラ」等などの映画を映画好きだった父に連れられてほとんど全て見ているのだ。
公開時、私は高校3年生と大学1年生の時ということになるから、現代政治には関心が薄かった当時としてはつまらない映画であったように思う。石川達三原作の「金環蝕」は内容もほとんど覚えていなかったが、最後の方で高橋悦司扮する新聞記者が殺される場面を覚えていた程度であった。
映画の初めに「この映画はフィクションであり、登場する人物には特定のモデルは存在しません」というような断わりが出るので笑ってしまった。
登場人物の名前は変えてあるものの、役者がモデルと思しき政治家にソックリなメーキャップをしているのだから・・・。
高校3年生の時には政治家の顔なんぞ知らないからつまらなかったのだろうが、今見ると、ア〜これは池田隼人だな、これは佐藤栄作だな、これは田中角栄だなとすぐに判る。
この歳になって改めて見てみると、政治や経済のドロドロした内容がとても面白く感じたのだ。やはり、映画は見る年齢にも左右されるものだとつくづく思う。
「不毛地帯」は小説の方が面白くて4巻買って読んだものだが、昨日の映画の方も改めて見てみると面白かった。
山崎豊子の小説には現実のモデルが存在していることは有名な話だが、仲代達矢演じる主人公、近畿商事の壱岐正のモデルが瀬島龍三だということは当時から言われていたことだし、田宮二郎が演じた東京商事の鮫島辰三のモデルは、かのロッキード事件の時に登場した日商岩井の海部八郎だと言われている。
同じ山崎豊子の小説で映画化された「沈まぬ太陽」の中にも瀬島龍三と思しき人物が登場するが、山崎豊子は瀬島龍三が嫌いだったのだろうか?
この山本薩夫監督の2本の映画に描かれているものは、政治家の汚さや商社の汚さであるが、誇張して描いているのか、それとも実態なのか?
こんなものを見てしまったら、ますます政治不信に陥ってしまう。
昨今の政治家の金の問題にしても大なり小なり似たようなことを繰り返しているのだろうか?
こんな事は小説や映画の中だけにしておいてもらいたいものだ。