というような顔をして私を迎えたが、この時は、私の説明を聞く内に段々と顔色が変わってきたのだ。そして何度も上司の所に行ってはヒソヒソと話をしてはまた確認の為に私のところに戻ってくるということを繰り返すのである。
その内に保健所の職員から決定的な一言が発せられた「どうやら飲食店としての許可を出さざるを得ないようですなぁ〜」と。
つまり、私が考え出した現在の「北の屋台」の方法は法律上は「露店」ではなく「飲食店」の扱いになるというのである。
食品衛生法上は「屋根・三方を囲う壁・上下水道・ガス・電気・冷蔵庫・扉の付いた戸棚等など」の細かい規定はあるが、面積の規定が載っていないのである。つまり、上記の設備等をした施設を作って、人間が料理できる十分な場所が確保されていれば、大きさの規定が無い以上は、それは飲食店の扱いにせざるを得ないというのである。
遂にやったぁ〜!遂に保健所にウンと言わせたのだ!
最初の福岡視察から1ヶ月間毎日毎日、朝から晩まで屋台のことばかり考え続けて、遂に完全遵法の21世紀型屋台を創り出すことに成功したのだ(詳しくは拙著「北の屋台読本」&「北の屋台繁盛記」をお読みください)。
しかも、この発明にはすごいオマケが付いて来たのだ。
何がスゴイかっていうと、「北の屋台」は露店ではなく、飲食店だから「メニューに制約が無い」ということだ。
福岡博多の屋台は、既得権で営業が出来てるが、法律上の扱いはあくまでも「露店」である。だからメニューには厳しい制約があって「生モノ・冷たいモノは出してはいけない」のである。
「お客さんの口に入る直前に熱処理した温かいモノしか提供してはいけない」のだ。判り易く例を取れば「蕎麦なら、かけ蕎麦は温かいからOKだが、もり蕎麦は冷たいからダメ」「ご飯の保温もダメだから、ご飯もので許可されるのはチャーハンだけ」「野菜サラダはダメで、野菜炒めはOK」という世界なのだ。だから博多の屋台の四大メニューは「ラーメン・おでん・焼き鳥・てんぷら」なのである。
「北の屋台」は飲食店の許可をもらうから「刺身・寿司・サラダ」となんでもござれなのだ。これは画期的なことであった。
かつて終戦直後に日本中に広まった屋台の半分以上が「江戸前の寿司の屋台」であったことがある(この理由を詳しく知りたいかたは拙著「北の屋台読本」を読んで下さい)。この寿司の屋台が現在は日本中どこにも存在していない。昭和23年に発令された食品衛生法によって生モノを屋台では扱えなくなったからだ。寿司屋のカウンターは屋台の名残りなのである。
これを「北の屋台」で復活させれば日本中のメディアが注目するだろうと考えた。
よ〜し、これで「北の屋台」を現実化できるぞ!話題も作れるぞ!と思って商店街事務所に報告しに行ったら・・・。
「お前たちはバカじゃないのか?帯広に今、屋台があるか?」「帯広に屋台が無くて、博多に屋台があるのは、気温のせいだ」「−20℃にもなる帯広で屋台なんぞが出来る訳がない」「せいぜい6〜9月くらいの3カ月程度しか営業できないだろう」「お客さんだって、寒い時に屋台になんか行くもんか」「屋台は南の国のもんだ」というのである。
そこで、ネットで調べてみたら、仙台に既得権でやっている屋台があって、真冬でも営業しているという。「百聞は一見に如かず」さっそく仲間4人で2月の仙台に飛んで確認しに行った。(つづく)