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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-09-02-Thursday マイヒストリー25

2000年1年間は帯広市民の頭の中に、

「北の屋台」という名前をインプットしてもらうようなイベント事業を立て続けに行っていた一方で、屋台の研究を個人的にしていた私は商売の原点としての「屋台」というものに関心を持っていったのである。

江戸時代あたりからの屋台を研究していくと、実は私の大好きなマジックの世界にも関係していることが判ってきたからである。屋台は手品の原点の「大道芸」にも通じていたのだ。

客集めの為に、面白おかしいことをするのが日本の大道芸の手法のひとつなのである。

だから、この年の視察は、江戸時代から続く「市場」の研究をすることにした。この意味でとても面白い場所が四国の高知市と沖縄の那覇市だったのである。

9月2〜6日の日程で高知・福岡・那覇の3都市を回った。

高知市には江戸時代から今日まで続いている「市場」が曜日と場所を替えて市内で多数行われている。しかも、新しく「ひろめ市場」という施設が街中に出来て先進的な試みをしているという情報だ。

事前に高知市役所に確認して詳しいことを聞いた。ついでに高知には屋台があるかと質問したら公式には無いとの返事。「公式って?・・・」どういうことだろうと思っていたのだが、高知に行って驚いた。夜になると街中にズラ〜ッと屋台が24軒も立ち並んでいるのだ。

何故、屋台が無いなんて言ったのだろう?と思いながらも、事前調査で屋台は無いと聞いていたから予定に入れていなかった屋台訪問をして歩いた。思わぬ場所に屋台があったので嬉しくなってインタヴューやら写真やらをしまくったのだった。

翌日訪ねたら、高知市で営業している屋台には正式な許可を出していないのだということが判明した。24軒全てが無許可営業なのだとのこと。勝手に屋台を営業しているが強制的に止めさせることができないでいるらしかった。だから「公式には・・・」なんて歯切れの悪い言い方をしていたのだろう。

福岡は99年の11月にたった一人で再取材に行った時に得るものが多かったので、他のメンバーにもその思いを共有してもらいたいと思い再び訪れたのである。やはり、関心を持って見るのと、無関心なのとでは見えるものが違ってくる。メンバーも二度見たことで前回の視察とはまた違った観点で屋台を見ることが出来たと思う。

那覇市は「牧志公設市場」がお目当てだった。ここは1階が市場で2階に食堂がある。1階の市場で買った魚などを2階の食堂に持ち込み、調理料を若干食堂に払えば料理して出してくれるというシステムがあるというので見にいったのだ。

これが出来るなら、屋台と市場を融合させれば、地産地消としてはとても面白いシステムだ。

自分で選んだ魚をすぐそばの食堂で料理してくれるのは、北の屋台でもやりたいと考えていた方法なのだ。魚が並んでいる市場は威勢が良いし、見た目にも新鮮なものを売っているという感じがする。残念ながら、内陸地の帯広では魚屋さんの協力が得られなくて、北の屋台では実現することが出来なかった方法であった。

那覇では地元の若手経営者たちと一緒に交流会を開いて大いに盛り上がった。彼等は「人」をとても大事にしている。やはり商売の原点は店主の顔、人と人とのコミュニケーションにあることを再確認したものだった。因みに、私はこの時までアルコール類で唯一焼酎だけが飲めなかった。甲種の焼酎は正にアルコールそのものを飲んでいる様な感じがして飲む気にならなかったのだ。しかし、この時に飲んだ泡盛の古酒が美味しくて、今では(乙種)焼酎ばかり飲んでいる。

この視察を通して、屋台には飲食だけではなく、パフォーマンスの要素が重要なのだということを感じた。ただ屋台という箱を作ってもそれだけでは客は来ない。店の形・声・匂い・煙・音・味、それらが皆、重要な要素になる。面白おかしく売るから客が喜ぶのである。

北の屋台開業の1年目は飲食の屋台、2年目はパフォーマンスと物販を充実させるという方針が見つかったのである。(つづく)