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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-09-03-Friday マイヒストリー26

一つの壁をようやく乗り越えたと思ったら、また次の壁が現れる。

北の屋台事業はそれの連続であった。

2000年末には地主さんとの間に基本的な合意事項が成立し、覚書にも地主さんの印鑑を貰って、場所の問題は(一応)解決した。

地主さんと折り合った最終的に借りられる期限は2001年6月1日〜2007年11月末日迄の6年半という中途半端な期限であった。

場所と期限が決まったら、今度はどんな屋台村にするかの具体的な「設計」に入る番である。まずは周りの店舗、人の流れなど、立地の調査に入った。

私は200分の1の模型を作っては、一人で、ああでもない、こうでもないと事務所でやっているのだが、他のメンバーは全く関心を示さないのだ。

自分たちが、まちづくりの「夢」を話し合って、それが、いよいよ具体化しようというのに何故かメンバー皆が、醒めている。

設計のことなど、素人の自分たちには判らないから、そんな事は設計のプロに任せておけば良いという風に感じたのだ。私も設計に関しては全くのド素人であるが、コンセプトを作った本人としては、設計家にコンセプトを正確に伝えて、それを確実に表現させなければ、設計とコンセプトがバラバラでは上手く機能しない。このままプロの設計家だけに設計を任せるのは、まずいと感じたから、ド素人ながら、いかに自分のコンセプトを万人に伝えたらよいか、そのプレゼンの方法を探っていたのである。

私には絵心は全く無いから、絵で表現することは残念ながら出来ない。しかし、工作ならばなんとか出来るから、簡易な模型を作って伝えようと思ったのである。

コンセプト作りでは「通り」ということにこだわった。道路を通行する為のものから、生活の場に戻すことが中心街活性化には必要だというのが持論だったからだ。

今回は不本意ではあるが一般道路を使用することは法律上叶わなかった。しかし、将来のことを考えれば「屋台」を道路に置きたいという意志は示しておきたかったのだ。

だから袋小路状ではなく、「通り抜け」出来る道路形状であることが重要な要素だと思っていた。

帯広市の街区は100m×50mの長方形の格子状になっているから、帯広市はいわば直線で作られた街である。私は道路には、先に何があるのか見通せない「曲線」がワクワク感を演出するという持論も持っているので、直線の街に、曲線の屋台が並ぶ通りができると、街の雰囲気を変えられるのではないかと考えたのだ。

作った模型で何とか曲線の店舗配置が出来ないか、悪戦苦闘しながらやっていたのだが、皆、素人が何をバカげた、無駄なことをやっているんだという冷たい目でみる。

実際には敷地の幅が10.5mしかないので、曲線化することは難しかったのだが・・・。

だが、初めから達観してしまって、何もやらないのは面白くないし性分に合わない。自分で挑戦してみて物理上、難しいことが判るから納得して次の方策に移れるのだと思うのである。

まぁ、結局は曲線化だの立体化だのという構想は幻に終わるのだが、私は自分なりに検討してみたことが、その後の設計にも生きたと思っている。

そんな具体的な設計に入ってすぐの頃、メンバーの設計士が急に脱退すると言い出したのである。設計士のメンバーにはボランティアで仕事をさせる訳にはいかないだろう。十分な金額ではないにしろ設計の報酬は100万円を払うことで了承してもらった。

だから別に報酬や設計で揉めた訳ではない。

北の屋台事業全体で掛るであろう総費用を、会計士のメンバーと大雑把に算出して、家賃をいくらに設定するかという会議をしていた中で、設計士のメンバーは家賃が高過ぎると激昂したのである。

「そんなに高い家賃では入る人がいないし、入居しても営業は難しい」というのである。

その金額というのは私が算定したのが月6万円で彼が主張したのはその半分以下の金額であった。彼曰くは「弱者救済で、新たな起業者を育てる事業でなければならない」という主張である。

しかし、私は責任者として、北の屋台事業が採算に合う事業でなければならないと考えていた。

土地の賃貸借期限は6年半しかない。その期間の中で、収支をトントンにしなければ、メンバーに借金が残ることになって迷惑をかけることになる。最初から赤字になることが想定されるような事業に積極的に参加する人間などいないだろうと思ったから、この6年半で少なくても借金を返せるだけの計画で始めなければならないと考えたのだ。

結局、彼は土壇場になって設計の仕事を降りてしまったのである。(つづく)