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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-10-04-Monday マイヒストリー33

2001年7月29日にオープンした北の屋台だが、

連日、テレビ・新聞・雑誌の取材や全国各地から視察に訪れる人の波が絶えない。最初は嬉しくて気分良く対応していたのだが、毎日、毎日同じ話を日に2回も3回もやらされるのはタマッタものじゃぁない。

段々と疲れとストレスが溜まってきたが、代わりをやってくれる人間が居ない。理事長にやってもらおうと考えたが、コンセプトなどの全体を把握していないから説明ができないのだ。

結局、理事長には短時間のエッセンスだけで良いテレビ局の取材を担当してもらい。雑誌や視察などの詳細に亘る対応は私がそのまま担当することになったで、忙しさはまるで変わらなかった。

10月12日(金)の朝に西側の駐車場(地主さんの店の車1台分の置き場所)と北の屋台を仕切っている植え込みの松の木が、引き抜かれて、コンクリートのブロックが取り外されて、捨てられていた事件があった。(このことの詳細は7年後くらいに書くことにする)

11月4日(日)に千歳市でシンポジュームが開催されパネリストとして招待された。このシンポジュームの基調講演は青島幸男前東京都知事である。

私はクレイジーキャッツが大好きで、ひょうひょうとして作詞家や作家としてもマルチな活躍をしていた青島幸男氏が好きだったが、東京都知事としての彼には失望していた。

懇親会で隣の席に座らせてもらった時に「東京都知事に当選して一番驚いたのが私なんだよ」と言っていた。詳しくは聞けなかったが、選挙を面白くする為に立候補したのに、間違って当選してしまったから、逆に困ってしまったのではないだろうかと推測した。この時もあまり覇気が感じられなかったが、5年後に亡くなってしまったのは残念だった。

このシンポジュームの翌日から大阪方面の視察旅行が入っていた。出発が新千歳空港なので皆と翌日の朝に新千歳空港で合流することにして千歳市のホテルに宿泊した。夜に千歳の商店街の人たちが飲みに行こうと誘う。連れて行かれた店がフィリピン人のニューハーフの店だった。この種の店に入るのは初めてであったが、なかなか面白い店であった。

翌日に大阪方面の富田林市などを視察した後、夕食時に昨晩のニューハーフの店の話をしたら、皆が面白そうだから大阪にも、そんな店があるだろうから探して行こうということになり、調べたら「冗談酒場」というはるな愛が居た店を見つけて飲みに行った。この種の店は値段が安いし、会話は面白いし、ショーも見られるので大いに盛り上がった。

翌日の視察を終えて、夕食はかつての女郎屋を改造した「百番」という店で取った。何だか女郎の怨念でも籠っていそうな陰気な店で、暗〜い気分になった。メンバーの一人が景気付けに、またニューハーフの店に行くぞ!と言い出し、今度は「ベティのマヨネーズ」という店を探して行って、またまた盛り上がった。

帰りにエレベータで、同じビルにある「船団」というオナベバーに誘われて全員でそこの店に入った。

3日連続で、男が女装している店と女が男装している店を4軒もハシゴして、性の境目が判らなくなる様な不思議な4日間を過ごした。ちなみに遊んだのは夜だけで視察は真面目にやったことは報告しておく。

帯広に戻ると相変わらず視察や取材が殺到している。11月15・16日と根室市で講演して欲しいとの要請があった。

自動車の運転は嫌いだから、列車で行きたいと希望した。以前に青年会議所で北方領土返還運動や全道大会で根室に行ったことがあるが、あの時は貸し切りバスでの移動で5時間半近く掛ったように記憶しているから気が重かった。

帯広から14:09発の列車で釧路到着が15:42、釧路からは迎えの自動車が待機している。19時からの講演に余裕で間に合ったのだから、4時間程度で到着したのだろう。翌朝は8:22根室発の列車に乗って帯広到着が12:49だから4時間半程度だ。列車の移動は本が読めるからまだ良いが、でも自分で運転したらこういう訳にはいかない。

12月20〜25日まで、上智大学の石澤良昭教授のお招きでカンボジアに行ってきた。この話は別途に書いているので割愛する。(つづく)。