小沢一郎の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件で、昨日、東京第5検察審査会は小沢一郎を起訴すべきだとする「起訴議決」をしたと公表した。
「強制起訴」は改正検察審査会法で新たに導入された制度で、国民から選ばれた11人の(素人)審査員で構成する検察審査会が、2度目の審査で11人中8人以上が「起訴すべき」と判断した場合に、裁判所が指定する弁護士が(検察に代わって)検察官役になっておこなうものである。
つまり、「検察の捜査は生ぬるいゾ!」と、裁判の素人の国民が判断したということになり、検察の威信がこれでまたつぶれたことになる。
だが、私が憂えているのは、別の観点からだ。
日本人が『「起訴」=「有罪」』と思っていることが問題なのだ。それも三権分立(立法・行政・司法)の中の、立法府を司る国会議員が理解していないことが大問題だ。
「起訴されたら、議員を辞職しろ」という言葉は、間違っても国会議員が口にする言葉ではない。
私は小沢一郎という政治家は好きではない。いやむしろ大嫌いな政治家の一人だ。しかし、好きか嫌いかということと、この問題は切り離して考えるべきことである。
好き嫌いで判断するのは法治国家のやることではない。
先の厚生労働省の村木元局長の事件が、その顕著な例だが、犯罪なのかそうではないのかは、司法の場において判断されなければならない。
彼女も起訴された時にメディアから「悪い奴だ」みたいな報道が洪水の如くに流され、国民もその流れに乗っていたように感じる。
村木さんのように、冤罪ということだってあり得るのだ。
もしかしたら、検事がデタラメな捜査をしていた可能性だってなくはない。
罪が裁判によって確定するまでは「推定無罪」というのが法治国家の大原則なのだ。
今回の小沢氏の起訴に対するコメントでは、私が知る限り、仙石由人官房長官が唯一弁護士らしい発言で「確定するまでは推定無罪」と言っていたが、野党の自民党に至っては議員辞職勧告決議案を国会に提出することを検討していると言っていた。
これは、自ら立法府としての存在を危うくする発言だと思う。
立法府の人間が国民の世論に迎合して「起訴=悪人」という考え方をするのは、アホ以外の何物でもない。こういう人間を立法府に送り込んではいけない。三権分立が崩壊してしまう。
このところの、検察がらみの報道をみるにつけ、司法制度そのものが大きく変わろうとしているのかもしれない。