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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-11-04-Thursday マイヒストリー35

北の屋台は2001年7月29日にオープンしたが、

20軒分造った店舗の内、初めは16軒しか埋まらなく、4軒は組合直営の臨時貸しの屋台として使用していた。

オープン時からお客さんが多数詰め掛けて連日の大満員状態が続いたから、最初は腰が引けて様子見をしていた人達が、屋台に出店したいと申し出てくれて、その後、すぐに3店舗は埋まったのだが、1店舗だけは、なかなか決まらない場所があったのだ。

この最後まで埋まらなかった場所はトイレの前で広場の横である。実はこの場所は後に売り上げで全体の1,2位を争う好立地の場所になるのだが、出店希望者はトイレの近くの店舗を最初は敬遠していたのである。

2001年9月になって、「最後まで空いていた1店舗をそのまま閉めておいたのでは、北の屋台全体の雰囲気が悪くなるから」と、K理事長(当時)が、「自分が屋台の店主をやって、現店主達にお手本を示してみせる」と言い出し、その助手を勤めるスタッフを募集しはじめたのである。

自分の会社を潰してしまって収入の無くなったK理事長は、北の屋台の組合の専従になってそこから給料をもらう算段をしたのだろう。

案の定すぐに「自分の給料を自分で稼ぐから、組合専従にして欲しい」と言い出した。

私は、K理事長は飲食業をやった経験がないから、それは難しいよと難色を示したのだが・・・。

北の屋台は6年半しか土地を借りることが出来なかった。だからこの6年半の間に金融機関から借りた1500万円を返済し、屋台店主から集めた保証金(100万円×20軒)の2000万円(事業終了時に店主に返還しなければならない)を作らなければならないのだ。

だから、私も無給だし、事務所の家賃も無料にしている。2名の女子職員もボランティアに近い安月給で働いてもらっているというような状態で、何とか6年半後には完全に金融機関に返済する金額と保証金相当分のお金を貯めることが出来る計画を立てていたのである。

「自分で自分の給料分は稼ぐから」と言ったところで、飲食業の経験のないK理事長には難しいことだと思ったのである。

そのK理事長に支払う給料分が足りなくなることになりかねないからだ。

しかし、理事会では「Kは仲間だろ、会社がつぶれて大変なんだし、自分の分は自分で稼ぐと言うのだから助けてやれよ」ということになり、Kに女性職員の3倍以上の額の給料を払うことが決められてしまったのだ。

これが、そもそもの間違いの始まりであった。

同じ頃に全国各地をバイクで旅している、熊本県出身のS青年(当時29歳)が北の屋台を訪れ「ここで働いて帯広に定住したい」と組合に申し入れてきた。ボランティアスタッフ募集の広告を見て応募してきたのだ。

彼の両親は医者で、本人も医療系の大学でバイオテクノロジーを研究し、卒業しているから、全くの畑違いである屋台の店員というのは初めての経験になる訳だ。

本当にやる気があるのか確認したが、本人はいたって大真面目なのである。

料理もしたことがないと言うから、まずは老人下宿のエバーハウス菜の花さんで料理を教えてもらうことにした。

ここにK理事長が飛び付いた。

「俺がSを手取り足取り指導して、彼を一人前に育ててみせる」と言い出した。「アレッ貴方がやるんじゃぁなかったのか?Sは貴方の助手であって、店主は貴方なのでは・・・」と思ったが・・・。

結局、K理事長が屋台に立つことはただの一度もなかった。おそらく自分でも難しいと判断したのだろう。自分が上手くやれなければ、他の屋台店主達にお手本を示すどころか、馬鹿にされてしまうとでも考えたのではなかろうか。

しかし、K理事長はS君にも指導らしい指導はしなかった。自分に経験がないのだから指導なども出来るはずがないのだろう。見かねた私や女子職員らが指導を始めたが、時すでに遅しで、結局S君は辞めていった。

そんな時に、組合の金庫からお金が消失する事件が起きた。K理事長が「ちょっと借ります」という書き置きを残してお金を勝手に持ち出したのだった。

悩んでいた女子職員から相談受けた私は、十勝環境ラボラトリーの会長で北の屋台の相談役でもあったS氏に相談した。

すると、S氏は「こういうことはコソコソやってはいけない」といきなり理事会に掛けてしまったので、この事件が理事者全員の知るところとなってしまったのだ。

理事会では「早急にお金は返済すること」という話になったが、驚いたのはその後だ。S氏が「罰として理事長は降格させるが、こういう事をするのは給料が少ないからだ。もっと給料を上げてやれ」と言い出したのである。私は我が耳を疑った。

この世の中に悪いことをしたから給料が減額されるという話は聞いたことがあるが、悪いことをしたのに給料を上げてやれというのは未だかつて聞いたことがなかったからだ。

この理事者たちは一体何を考えているのだろうか?

仲間だからと、なぁなぁでこんな事をやっていたのでは組織はモタナイ。真面目に働いている人間の士気に多大なる悪影響を及ぼすからだ。

後に私が北の屋台を辞する遠因のひとつになった事件でもあった。(つづく)