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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-12-02-Thursday ふるさと十勝

2010年10月20日発売雑誌「ふるさと十勝」掲載文

「見えないグランド・デザイン ボルダー市との比較」

帯広市のまちづくりに決定的に欠けているのはグランド・デザインであると思う。長期的展望がまったく見えてこないのだ。将来の帯広市がこんな街になるという未来予想図があれば、経営者としても、それに合わせた色々な先行投資をしたいという気にもなるのであるが・・・。

かつて、帯広市にも「帯広の森」という吉村博市長時代に造り始めた壮大な計画があるが、私が大学設置問題で何度も訪れたアメリカのコロラド州ボルダー市にも似た様な「オープン・スペース」という政策がある。この二つを比較してみたい。

私がボルダー市を最初に訪れたのは1995年2月のことで、以来合計4回訪れて視察してきた。

ボルダー市はコロラド州の州都デンバーの北西40㎞に位置し、標高が約1650mという高地にあって、年間300日は晴れという気候のため、日本のマラソン選手の有森裕子や高橋尚子らが、高地トレーニングの強化合宿をする場所として有名になった。また、あまりありがたい話ではないが、ジョンべネちゃん殺害事件(96年)のあったところとしても有名になった街である。

ボルダー市の人口は約9万5千人、平均年齢が29歳という若者が多い街である。

なぜ、若者が多いのかといえば、街の真ん中に「コロラド(州立)大学(ユニバーシティ)(1876年創立)」がデンと構えているからである。この大学の学生数は28000人、大学院生は4500人、合わせると32500人にもなる。つまり人口の約35%がコロラド大学の学生なのだ。ボルダー市にはこの他にも複数のカレッジがある。

通常、学生は4年で卒業するから、18〜22歳くらいの年齢層が常に新陳代謝を繰り返していくことになる。また、大学を卒業してもボルダーを離れずに、ここに生活の基盤を置く若者が多い。「宇宙に一番近い大学」といわれるほど優秀なコロラド大学の卒業生を目当てに、アメリカの有名研究所や企業が多く進出しているので、学生も就職には困らないのだ。

コロラド大学は街の中心部にあって、キャンパスは市民に開放されており、気軽にキャンパス内を闊歩している。また、コロラド州特有の赤い石の壁で統一されたデザインの校舎は「全米で最も美しい校舎」の第4位にランクされているほどだ。

ボルダー市にはコロラド大学があるために、各種の学会やスポーツ大会や催事が頻繁に行われている「コンベンションシティ」でもあって、大学を持つ街の強みが現れている。

このボルダー市は帯広市の「帯広の森」と似た「オープン・スペース」という政策を実施している。ボルダー市をグルリと囲んだ周辺の土地を市が買い上げて、舗装や建物の建築をしないで緑の空間を確保している。開発しない土地を市が直接に持つことで、市街地の拡散を防ぐ目的があるのだ。

だが、このオープン・スペースを維持するためには、ボルダー市民は全米でも最も高いと言われている税金を払ってもいる。

このオープン・スペースと市街地の間には、まだ使用していない土地が十分にあるが、市街地に虫食い状態の空き地がある間は、新しい場所の開発は認めないとのことである。

市街地に空き地が無くなってから、オープン・スペースとの間にある新しい土地の開発が許されるから、街中には公園はあっても無駄な空き地というのが無い街なのである。これが本当の意味での「コンパクトシティ」である。

ボルダー市には景観条例があり、建物の高さや看板などにも厳しい規制があるから、街はシックで美しい。私がボルダーに行った時に泊めてもらう市内の民家の庭には、野生の鹿やアライグマなどが訪れるほど自然が豊かな場所でもある。

中にはオープン・スペースの外側に住宅を建てたいという人間もいるらしい。自由の国、アメリカだから建てたければ建てることも可能だとのこと、しかし、電気・上下水道などのインフラ整備は自己責任で用意するのだそうだ。

ボルダー市は、こじんまりとした街であるが、商店街であるパール・ストリート・モールは賑やかな場所でとても繁盛している。この街にはいわゆる郊外型の巨大なショッピングセンターは存在しない。

病院の仕組みも面白い。レントゲン・MRIなどの高価な検査機器を、医師が共有しているというのだ。患者が病院に行くのではなく、医者が患者の家を定期的に回って歩くホーム・ドクター方式で、往診で患者の身体に異変があれば、検査機器を備えた病院に患者を連れて行って詳しく検査し、その検査で手術などが必要だということになれば、大きな病院に患者を送って専門医が診るとのことだ。このやり方だと医療費も少なくて済むし、病院側も過剰な設備投資を各々がしなくても済むから、とても合理的だし、経済的だし、患者にとってもありがたいシステムだ。

市議会も市長もボランティアで、終業後の夜に開かれる市議会の模様はケーブルテレビ放送で各家庭で見ることができるそうだ。

帯広市の「帯広の森」とボルダー市の「オープン・スペース」との違いは一体何だろうか?

私見だが、為政者の定見と意志の差ではなかろうかと思うのだ。為政者が、この街をこういう街にしたいと強く思うことではないだろうか。

昔、できたばかりの「帯広の森」は「(これ以上街を拡げないという)成長限界線」としての機能を持つという説明を受けた記憶がある。だが、現在の帯広市役所では「帯広の森」は帯広市を森で囲むだけで、成長限界線ではないと説明している。この違いはなぜ出てきたのか?

他ならぬ「帯広の森」を造った吉村市長が、自ら帯広の森の外側に「大空団地」を造成したからではないかと想像している。

成長限界線の外側に自ら団地を造成してしまったら、理論的整合性が失われてしまうからだろう。

まちづくりには理論構築が重要だと思う。未来予想図は誰が見ても同じように見えなければ設計図としての意味を持たない。それを自ら壊してしまったのは残念なことである。

「帯広の森」は最初の計画ではもっと街中に造る予定であったが、地権者などの関係から現在地になったという経緯を聞いたことがある。その当時としては国から大きな予算を得て造った画期的な団地だという説明も聞いたことがある。

しかし、私はそれを「場当たり的」な政策だと考える。

その時々に有利な条件が出て来たから、その事業を推進するというのは、私企業なら許されても、行政がやったのでは、将来に禍根を残すと思うからだ。

グランド・デザインを持たない首長は、その時々にもたらされる案件に左右されがちだ。たとえ業者から開発許可の申請が提出されても、「私は選挙公約で街を拡げないと宣言して当選したのだから、その種の申請は一切受け付けない。」「文句があるなら私を選挙で負かしてから来なさい。」と窓口で拒否すれば良いのに、「書類に瑕疵(かし:不十分なところ)がなければ、受理せざるを得ない。」など役人と同じ対応をするから、街がズルズルと拡がってしまうのだ。市役所には1500人からの役人がいるのだから、市長が役人の必要はない。市長は為政者でなければならないと思うのだ。

鳩山首相のように、できもしない夢ばっかり語って自滅するのも困りものだが、実現可能な壮大なプランを創れる人が行政の長であって欲しいと願うものである。