«前の日記(■2011-01-12-Wednesday) 最新 次の日記(■2011-01-14-Friday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-01-13-Thursday マイヒストリー39

北の屋台理事者の有志で立ち上げた地遊舎だったが、

最初から気まずい雰囲気で運営していた訳ではなかった。スノーフィールド・カフェ(SFC)(冬期間の使われない畑の中に造ったビニールハウスのレストラン)だけの時にはまだ仲良く運営が出来ていたのである。

SFCは当初は後藤君が仲間たちと始めた事業であった。

後藤君は、発想は大変面白いのだが、マネジメント面にはやや難がある。このSFCも冬期間(約5カ月間)使われることのない、景観抜群の畑を使って何か出来ないかという発想から生まれたもので、発想自体はとても素晴らしい。

ただ、ビニールハウスを建てた場所と費用に問題があった。

まず道路から100mほども中に入った畑のど真ん中にビニールハウスを建ててしまったから、畑に雪が降り積もりそれを踏み固めないと、一般の車ではビニールハウスに近づけないことである。雪が積もる12月中旬にならなければ入れないし、また解け始める3月初旬になると、今度は畑がぬかるんで入っていけない、つまり正味2ヶ月半程度しか営業出来ない施設なのだ。

そのビニールハウスに厨房や暖房機や床暖房やバイオトイレまで設置するのだから、建築や施設に掛った費用はかなりな金額になった。それを、たった2ヶ月半の営業日数では、どんなに大繁盛してもとても回収は不可能なことだということだ。

私が相談を受けたのは既に建築に取りかかった後だったので、その辺にはアドバイスが出来なかった。後藤君は考え着いたら即行動するところが、長所でもあり短所でもある。

結局、十勝環境ラボラトリー(TKL)のメンバー有志に、資金援助の相談に来たのである。その相談を受けたのがTKLの副会長をしていたK医師であった。

オーベルジュ・コムニというホテル兼レストランの店のシェフを夏期間だけ(冬期間コムニは閉鎖していた)担当していたW氏を使ってSFCを運営していたのだが、コムニのオーナーが代わって我々にコムニの運営を依頼してきたことは前回のブログ(マイヒストリー38)に書いた。

ホテルの運営をやったことがない我々は、2003年10月〜2004年2月までの5ヶ月間、毎月3泊4日で全国各地の有名なホテルを毎回、地遊舎の役員6〜8人で体験して歩くことにしたのだ。

03年10月22〜25日は鹿児島県屋久島(ホテルあかつき視察・天然村宿泊・ホテルいわさき視察・民宿送陽亭宿泊)と奄美大島(ホテルばしゃ山村宿泊)。

03年11月03〜06日は沖縄県石垣島(ビーチホテルサンシャイン宿泊・B&B KABIRA宿泊)と西表島(ホテルパイヌマヤリゾート視察、ラ・ティーダ西表宿泊)と竹富島視察。

03年12月04〜07日は静岡県熱海(蓬莱旅館宿泊、ヴィラ・デル・ソル視察)と熱川(民宿作右衛門宿宿泊)と東京都(新宿センチュリーサザンホテル宿泊、コートドール視察)。

04年01月13〜16日は大分県湯布院(亀の井別荘百番宿泊)と安心院(民泊中山家・矢野家宿泊)と熊本県黒川温泉(旅館山みず木宿泊)。

04年02月04〜07日は青森県酸ケ湯(八甲田ホテル宿泊、酸ケ湯千人風呂視察)と秋田県乳頭温泉(鶴の湯本陣宿泊・新本陣宿泊)。

に行って、高級ホテル・高級温泉旅館から民宿までのあらゆるパターンの宿に泊って歩いたのである。我々のモットーは、実体験することなのだ。

私と地遊舎の社長であるT医師の2人はこの全ての日程に参加した。私はある程度自由に自分の会社のスケジュールを調整することが可能だが、T医師は、代理の医者をたててスケジュールをやりくりして参加したのだから大変なことだ。やはり社長としての責任感があったのであろう。(つづく)