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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-01-17-Monday 同期会

15日の柏葉高校の同窓会新年交礼会で

今年、我々柏葉26期生が卒業35周年になるので、5年毎に開催している学年全体の同期会を今年の秋頃に開催しないかとの提案があった。

5年前に、30周年を開催した時に、全体の同期会はこれが最後と宣言したのだが・・・。

前回の30周年の時は、この新年交例会の幹事を前年に終えて、資金的にも余裕があったから、遠距離からの参加者に交通費を援助することで参加者を増やしたのだった。十勝川温泉の第一ホテル豊洲亭で一泊で開催し、100名を越える参加者がいたのである。午前中にはゴルフコンペも開催したのだった。

何故に、全体の同期会を最後と宣言したのかと言えば、それは第一に「個人情報保護法」のせいである。

名簿の作成が、この法律が出来たせいで非常に難しくなったからだ。

私は、高校を卒業する1976年2月に、担任の教師から「坂本と小川(芽室町で牧場を経営)は将来的には親の後継ぎで地元で生活をするであろうから、坂本と小川の両名をクラス会の幹事に指名する」と私が受験で不在の時に欠席裁判で一方的に決められてしまったのだった。

欠席裁判とはいいながらも、他のクラスメイトの親は公務員などの転勤族が多いから、仕方なく引き受けた私は、以来、真面目にも毎年2〜3回(年賀状と暑中見舞いと移動の連絡があった時には作り直して送っていた)は名簿を作成しては全員に郵送していたのである。

高校を卒業してすぐのクラス会の時に、名簿の作成費用およびクラス会開催の連絡などの費用として年間1000円を徴収してはどうかと提案したら、不届きな奴が、「どうせ坂本のこずかいにするのだろう」と言うので、頭に来て「そんな事を言うなら金は一銭も集めない!俺の金で作って送ってやるが、その代り俺が辞めたくなったらいつでも辞めるからな!」と宣言して以来、30年間作り続けてきたのだ。

最初はパラフィン紙に手書きで書きガリ版刷りしていた。私の父の会社が簡易印刷機を導入したらその印刷機で、和文タイプを導入したらそのタイプで打って、コピー機を導入したらコピーし、ワープロを導入したら・・・、コンピュータを導入したら・・・と機械の発達に依って手間も格段に減り、その内容も大学名、親元の住所、本人の勤務先の連絡先、配偶者名など等充実させていった。消息が不明の人物も2名だけであったのだが・・・。

完璧主義の私はこの住所録に様々な情報を詰め込み、見るだけで色々な事が分かるようにと作ったのだが、それが、逆にあだになっていった。

私の作成する名簿を前に送った名簿と比較するだけで、クラスメイトが結婚したことだの、就職したことだのという動向が分かるから最初はとても有難がられていたのであるが・・・。

そのうちに、結婚の遅い人、しない人、離婚した人、勤めていた会社が倒産した人など、名簿を見たら一目瞭然となっているから、名簿に載せてほしくないという人が出てきたのである。

会社名や配偶者名などは、簡単に削除することができるが、親元の住所は載せておきたいと思った。

本人の住所が変更になり、私にその変更先を知らせてこないと、追跡調査が出来なくてその人物は消息不明となってしまう。一旦、消息不明になってしまうと再度掲載させるのは至難の業なのである。

本人の連絡先が分からなくても、親元に電話すれば「ア〜ラ坂本君、いつも御苦労さま、○○は今、△△にいるのよ〜」と教えてくれる。それが、名簿を使った経済事件が多発するようになった頃から「貴方は本当に柏葉高校の坂本君か?」と警戒されるようになってきたのだ。それでも説明したら教えてくれていたが・・・。

そこに「個人情報保護法」ができて、名簿を作ることが更に面倒で難しくなったのだ。

歓迎されない名簿なら作るのは止めようと5年前から作成は止めた。

確かに名簿を悪用して、犯罪に利用する悪い奴らがいることも確かだろう。しかし、名簿が無ければ、普段の付き合いがある連中でなければ、連絡の仕様もない。こうやって段々と人情が薄れていくのだろう。

後から、もう一度名簿を作り直そうとしても、一旦途切れてしまった情報を復活させるのは難しいことだ。

法律が日本の人情を破壊していくようで悲しい。名簿を作りづらくするよりも悪用した時の罰則を厳しくして犯罪抑止にすれば良いと思うのだが・・・。

2月2日(水)18:00〜坂本ビル6階で柏葉26期各クラスの幹事が集まって同期会開催の検討をする会議を開催する予定だ。果たしてどのような結論になることか。