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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-01-24-Monday マイヒストリー40

2003年1月から北海道新聞社

の朝刊の人気エッセーコーナーである「朝の食卓」という欄への執筆依頼が舞い込んで来た。「朝の食卓」は40名ほどの執筆者が700字ほどのエッセイを順番に書いていくコーナーで毎日掲載されるのである。40日毎に原稿を新聞社に送らなくてはならないのから、およそ1年間に11本の原稿を書くことになる。

通常、書き手は1年ずつで交代するそうだが、私の書くエッセイは人気があったようで2004年も引き続き書いて欲しいと編集者からの依頼があった。書くことが段々と楽しくなってきていたこともあって喜んで引き受けた。その次の年(05)も、また次の年(06)も執筆依頼を受けて、結局、最長の4年間(03年1月〜06年12月)全37編も書くことになったのだった。

2004年1月9日から、北の屋台の「御多幸」さんに、テレビ朝日系列で土曜日18:00から放送されている人気番組「人生の楽園」の取材が入った。

この番組は西田敏行と元キャンディーズの蘭ちゃんがナレーションを務めている番組で、第二の人生を素敵に生きている夫婦を紹介する番組である。

放送日は2月21日(土)であった。全国放送の人気番組であるから、北の屋台も全国的な知名度が出たことと思う。

1月22日に函館TMOの方々が視察に訪れた。函館でも屋台村を開業したいというのである。その後、私が函館に何度も出向いたり、函館からも来られたりして函館にも屋台村「大門横丁」がスタートした。

2月1日にはシャープの取材、10日にはサントリー不易流行の取材など等、全国的な企業や雑誌などからも取材が入り、北の屋台はますます全国的な広がりをみせ始めた。

2月17日(火)夜に帯広市内の寿司店に、オーベルジュ・コムニの旧経営者と新経営者から、我々、地遊舎の幹部が招かれた。

全国各地の旅館やホテルの視察(マイヒストリー39参照)も終えて、いよいよ、ホテルの経営に取り組むことになり、オーベルジュ・コムニは4月17日(土)から新装オープンしたのだった。しかし、このホテル経営は予定していた稼働率には程遠かった。T社長は役員に更なる増資を求めてきたのである。その役員会で医師でもあるT社長は「コムニを大人がフランス料理を楽しんで密会できるような場所にしよう」と提案した。私が「それは言葉を変えただけで、やることはラブホテルと一緒じゃぁないか」と言ったことで亀裂が入った。運営方針に対する意見の違いが決定的になったことで、私は取締役の退任届を5月18日に提出したのである。

しかし、T社長は、コムニには参加していないが、TKLの会長でもあったS医師などに仲介役を依頼して、18〜21日までの4日間手を変え、人を変えて私が経営陣から脱落することを防いだのであった。

結局、更なる増資を飲まされ、経営にも引き続き参加することになってしまった。今思えば、傷の浅いこの時にハッキリ別れていれば良かったのである。T社長も心の中に私に対するワダカマリを抱えたまま経営を続行することになってしまったのだった。

私は北の屋台の講演がますます増えてきて、相変わらずというよりもますます忙しく全国各地を回って歩いていたが、北の屋台は7月中旬には第二期がスタートする予定になっていた。(つづく)