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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-01-25-Tuesday マイヒストリー41

2004年、北の屋台は2期目に入ろうとしていた。

北の屋台が最初にオープンしたのは2001年7月29日である。余談だが、私は「29」と云う数字がラッキーナンバーなので29日のオープンにこだわった。以前にも確か書いたが、帯広市西2条南9丁目で1月29日に生まれ、坂本和昭の総字画数は29画なので、昔から29という数字が好きなのである。

当初、北の屋台は地主さんとの土地の賃貸借契約期間を6年半(2001年6月1日〜2007年11月末日)しか締結出来なかったから、この6年半を、3年と3年半の2つに分割して、第一期、第二期とし、より多くの人達に、屋台を使って起業してもらいたいと始めた事業である。つまり、この第二期目(2004年6月〜2007年11月)が最後の期になる予定であったのだ。

第一期の初めは、全部の屋台がなかなか埋まらずに苦労したが、2003年5月8日に「串のやっさん」が最後にオープンしてからは順調に推移していった。それからは来客数も、売上金額も常に前年度を上回る好成績が続いたのである。

第二期目には、何か新しい事にチャレンジしたくなった。そこで帯広商工会議所に働き掛けて「起業塾」という新しいシステムを考案したのである。最初は商工会議所に北の屋台の2つ分のブースの家賃を出してもらい、そこに通常の屋台店主募集とは違う別の方法で選別した、金は無いがやる気だけはあるという人間を入居させて、組合が育てていこうと企画したのである。

「起業塾」のアイデアを思い付いたのがこの第二期の募集を始める直前ということもあったが、商工会議所は意思決定にやたらと時間が掛る組織なのだ。常任議員会や総会を通さないと新しい企画を始めることができないシステムになっている。

募集開始期日までに商工会議所は決定できないということが判ったので、やむなく、商工会議所と組むことを止めて、北の起業広場協同組合単独で「起業塾」を開始することにした。

最初は、商工会議所に家賃分の負担をしてもらって、リスクを最小限にするという都合の良い算段をしていたのだったが・・・、やはり、リスクは自分で取らなければ、良いものはできないと思い直したのである。

最終的な「起業塾」のシステムを簡単に説明すると、通常の屋台店主募集とは別枠で2店舗分の屋台を組合直営の屋台にする。やる気はあるが、店主に応募するには自己資金300万円が用意出来ないという人間を募集するのだ。選ばれた塾生には、組合の1年限りの臨時職員として最低限の給料(手取り14万円程度)を払う。組合は売り上げから、家賃、光熱費、食材などに掛った経費を引いて残った「経常利益の60%」をインセンティブとして塾生に払う契約をする。つまり、塾生は頑張って利益を上げたら自分の収入も増えることになるわけだ。

また150万円を限度に組合が塾生にお金を貸し、塾生はそのお金で、自分がデザインした屋台店舗を造り、自分が気に行った食器類などを買い揃えるのだ。

契約期間の1年間、塾生は毎日、組合事務所に前日の売り上げ金額、売れたメニュー、来

客数などの報告と売上金を持参してくる。組合事務所で1年間、帳簿の付け方、営業方針などを学ぶのである。

この方法にはもう一つの意味がある。塾生は単独で金融機関に行っても300万円という資金を融資してもらえなかった人間である。その時に金融機関に提出する書類の中の「経営計画書」というのは、未だ商売を実際に始める前の目論見というか絵空事というか、「こう云う風な営業が出来たら良いなぁ〜」という想像の産物というか、まぁそういう類のものなのである。金融機関はこの作文を信憑性があるかないかを判断して融資するかしないかを判定する。

しかし、塾生は毎日、毎日、北の屋台で営業した実際の数字を一覧表に作成しているのだ。これを次の年に金融機関に持ち込んで融資を依頼したら、断る所はまずないだろう。作文ではない実際のデータなのだから当たり前である。そのまま同じ場所で同じ人間が営業をするのだから、これほど確かな融資先はない。

つまり「起業塾」は、お金は無いがやる気だけはあるという塾生を選んで、1年間、最低限の給料とインセンティブを払い、自己資金を貯めさせながら、帳簿付けやメニュー作り方や屋台の商売の方法を研修するのである。

翌年、組合はもう一度塾生のやる気を審査する。そのまま屋台店主になりたいと思った塾生は、金融機関に行って、300万円の融資を依頼するのだ。お金を借りられたら、組合が塾生に貸した150万円は返済してもらう(もちろん利子は取らない)。このお金を返してもらうことで、さいしょに造った屋台店舗や食器類は晴れて自分の所有物になるのである。

塾生は2年目から他の屋台店主らと同等の扱いになるから、塾生の、店主としての契約期間は他の店主らより1年短い2年半である。2年目からは、独立して組合に100万円の保証金を入れ、家賃も光熱費も他の店主達と同じように組合に払うのである。

最初は、かなりのリスクがある事業だと覚悟していた。失敗したら、その負債は被らなければならない。しかし、結果として組合は収入が増えたのである。塾生が頑張って、損益分岐点を遥かに超えた売上を上げてくれたので、毎月インセンティブを支払う嬉しい誤算になった。インセンティブは家賃や塾生の給料などの諸経費を払った残りの経常利益であるから、当然、家賃収入だけの時よりも儲かったのである。

起業塾のヒントになったのは「ひでちゃん」だった(これは後日書く)。

結局、起業塾は組合にとっても、塾生にとっても両方に良い、オールウィンの方法だったのである。(つづく)。