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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-01-27-Thursday マイヒストリー43

第二期の通常の屋台の応募者はあまり芳しいとは言えなかった。

屋台なのに何を贅沢な!と言われるかもしれないが、店主になってもらう人達にはある程度以上の質を保ってもらわなければ、飲食店だから、悪い評判が立ってしまったらたちまち立ち行かなくなってしまう。こうなると一軒だけの問題では済まなくなるので、面接で評価の高くなかった人達を落としていったら20ブース全てを埋めることが出来なくなったのである。

そこで急遽、地遊舎が2ブースの営業をすることになった。地遊舎は「スノー・フィールド・カフェ(SFC)(冬の雪に埋もれた間だけ、景観抜群の畑を活用したビニールハウスのレストラン)」を運営する為に造った会社で、役員は全員北の屋台の理事者という会社でもあり、「オーベルジュ・コムニ(幕別町のレストラン&ホテル)」も運営する会社だ。

20のブースを埋める為にはとりあえず、北の屋台の理事者が経営する会社にやらせておけば融通が利くと考えたのだ。

2ブースの内の1店はパチンコ屋をやっていたT君の会社の札幌店店長をやっていたK君が、会社が倒産した後は無職だったこともあって、彼に、屋台をやらせることにした。K君は料理の素人だから、メニューはコムニのシェフのW君に串揚げをプロデュースさせる計画だった。

もう1店はやはりW君がプロデュースして、そちらは新たに求人する計画を進めている時に、態度を保留していた串揚げ屋の店が正式に入居希望を伝えてきたので私が北の屋台出店をOKしたのである。地遊舎にはブースを2から1に減らすようにお願いした。2店舗目の陣容がまだ決まっていなかったからだ。

地遊舎ではK君にも同業の串揚げ屋をやらせる計画だったし、2店舗の予定から1店舗に減ったことで、T社長が大激怒したのである。収入源が減るということなのだろう。しかし、北の屋台では同業種は2店舗まで認める決まりがあるのだから同業者というのは問題ない。

地遊舎の役員は全員が北の屋台の理事者でもあるのだが、立場によっての軸足の重心の違いが鮮明になったのであった。

私は、地遊舎よりも北の屋台の運営の方に力点を置いていたから、屋台を地遊舎で運営するよりは、やりたいという人がいるならその人にやらせるのが本来の北の屋台の姿だと考えたのだ。

T社長にとっては、もともと赤字覚悟で運営しているSFCは別にしても、儲けるはずだった「オーベルジュ・コムニ」が思う様な収益を上げられなかったこともあって、儲かる北の屋台の運営でその赤字分を埋めるつもりでいたのだろう。

T社長は北の屋台の副理事長で地遊舎の社長という立場であるが、地遊舎の方を優先したし、私は北の屋台の専務理事で地遊舎の取締役という立場であるが、北の屋台を優先したのである。

地遊舎は個人の会社であるし、一方の北の屋台は、国や市や商工会議所から補助金を頂いて始めた、いわば公的な仕事である。私にどちらを優先するのかと問われれば北の屋台を優先すると答える。しかし、T社長にとっては、それが彼に対する裏切り行為に感じたのだろう。私に言わせれば、貴方も北の屋台の副理事長という立場なのだから少しは立場ってものを考慮して欲しいということなのだが・・・。私とT氏との軋轢は深まっていった。

私は、自分が北の屋台と地遊舎の二足のわらじを履いて歩いていくことは不可能だと考えて、地遊舎の役員を降ろさせて欲しいと願い出たのだが、なぜだかT社長は認めないのである。その後もズルズルとこの態勢を引きずったまま続いていくことになるのだが、これが後々に不幸な事態となっていくのである。(つづく)