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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-01-28-Friday マイヒストリー44

北の屋台の第一期目の集計は

2001年7月29日〜2004年6月30日までの約3年間の総来客数は46万6485人で総売上額7億円超と(1年目15万3041人で総売上額2億1141万円・二年目は微増の15万3378人で総売上額2億3060万円・3年目は16万0066人で総売上額2億5894万円)と右肩上がりに増えていった。

この3年間で本州、四国、九州、沖縄など全国各地の140か所以上から1300名以上の視察者が訪れ、私の講演回数も150回を超えたのであった。この成果の詳しい内容は「北海道浅井学園大学生涯学習研究所研究紀要、生涯学習研究と実践の第8号(2005年3月発行)」に16ページに亘る論文を私が書いているのでそちらを参照されたい。

2004年は2ヶ所から表彰を受けた。

6月27日には「十勝場所と環境ラボラトリー」が日本都市計画家協会(会長:伊藤滋早稲田大学教授)から第2回「都市計画家協会賞の市民・NPO部門の大賞」を受賞した。東京渋谷区の建築会館で行われた贈呈式には私が出席した。晴れがましい席なのでS会長が出席したいとの希望であったが、協会側からの旅費は一人分しか出ないし、表彰式ではプレゼンをしなければならないので、S会長では無理だったので私一人だけで出席することになったのである。

11月10日には「北の屋台」が「あしたの日本を創る協会」から「ふるさとづくり賞の内閣総理大臣賞」を受賞した。東京渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターで行われた表彰式には、今度はS理事長(S会長と同一人物)が、総理大臣から表彰されるなら絶対に自分が出ると言う。今回も旅費は一人分しか出ないし、平日であるから医師のS理事長が出るのは難しい、それに、やはり表彰式でプレゼンをしなければならないのだ。S理事長は自分の分の旅費は自分で払うから出ると言うので私と2人で出席してきたのであった。

表彰式では残念ながら総理大臣、官房長官は急遽、閣議の為に欠席となり、代わりに内閣府の審議官が表彰することになったのだった。S理事長はかなりガッカリした様子であった。

北の屋台では03年に1ヶ月間だけ試験的に導入した「夕焼け市(地元の農家が採れたての野菜を直接販売する市場)」が好評だったので、この年は野菜が採れなくなるまで続けることにした。近所の街中に居住する人たちが大勢買いに来るようになったのである。野菜の金額はスーパーマーケットで売っているものと大差ないか、若しくは若干高いぐらいだ。しかし、一個づつの販売であるから、二人暮らしや独居老人にとっては大量に買って腐らせてしまうことがない分かえって割安になる。それよりも作っている本人が売っているのだから安心なのだろう。

この「マイヒストリー」を書くにあたって、日付けなどの正確性を期すために、私がスクラップブックに切り抜きをしている新聞などを参考にしているのだが、その新聞記事の数の多いことに驚く、ほとんど毎週の様に北海道新聞や十勝毎日新聞に記事が掲載されているのだ。つまり、それだけ情報発信に力を入れていたということだ。北の屋台の理事会にも新聞記者に同席してもらい、その会議の内容を掲載してもらっていたのだ。

その他にも「北の屋台通信」という独自の広報誌を私が書いて、2002年8月からVOL5まで発行して屋台で無料配布していた。

税金である補助金を受けての事業であるから情報公開をするのは当然の義務であるし、情報をオープンにすることで市民との一体感を持ちたかったのである。

最近の北の屋台は、情報発信力が欠如しているのか、それとも秘密主義になったのか、どうも情報発信がなされていないように感じる。独裁国家の北朝鮮でもあるまいし、隠す必要など何もないはずだろうに、公開すると都合が悪いことでもあるのかしらん。何故、公開しないのだろうか?

2月末には、第4期の入れ替え時期だというのに、1か月前の今日現在、未だに誰が入居するのかすらも一般に発表されていないし、屋台店主らにも一部の人間以外には知らされていないようなのだ。3〜4人もの事務局員がいて、一体どんな仕事をしているのだろうか?(つづく)