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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-02-16-Wednesday ラボラトリー

十勝環境ラボラトリー(TKL)は

1996年3月から、9つのプロジェクトを開始した。活動の内容の詳細は何度もこのブログに書いてあることなのでここでは割愛するが、9つのプロジェクト名だけを列記すれば①国際環境大学公開講座、②新聞紙上セミナー、③環境童話製作、④都市構想、⑤食文化環境、⑥場所カー、⑦場所環境住宅、⑧十勝川水系調査、⑨田園ライフスタイルの9つである。

この中でも、特に①は毎月1回大学教授らを招いての講座の開催、②は毎週1回十勝毎日新聞紙上での紙上セミナーの掲載を続けてきた。

TKLのメンバーは、全員が職業を持った人間のボランティア活動である。①と②の活動を続けて行く為には、専属の事務局員と事務所がどうしても必要だった。

しかし、TKLの活動自体に収入がある事業は一つもなく。むしろ経費(特に①は講師謝礼金・旅費・宿泊費など)が掛る事業ばかりなのである。会員から徴収する会費だけでの運営はとても出来ない。そこで、中心メンバーがTKLに寄付をしながらこれらの活動を支えてきたのである。

私は、自分の会社のビル内に事務所を提供し、その事務所費と事務局員一人分の給与を負担しながら、自身も専務として午前中は自分の会社の仕事をして、午後からTKLの仕事をして活動し、忙しいながらも充実した日々を送っていた。

当初は6年間の期限付き活動でその期限が到来した2002年12月に総括を行い、「④の都市構想Pの活動の中から北の屋台(1999年〜)が生まれたのでこの行く末を見る為にもう4年間、2006年12月まで期限を延長する」ことを決めた。この時に名称を「十勝場所と環境ラボラトリー(BAKALABO)」に変更した。

北の屋台も1999年当初には金の掛る事業であった。2001年7月29日にオープンさせたが、当初は全店がなかなか埋まらず、家賃収入が予定していた金額には届かずに、やり繰りに大変苦労もしたが、2004年7月12日から始まった第2期目からは、順調にお金が回り出したのである。

北の屋台の事務所は、TKLの事務所を兼ねていたから、事務局員の女性スタッフ2人も北の屋台の収入から給与を払えるようになり、事務所費も若干なりとも頂けるようになったので、私の金銭的負担はかなり軽減されたのであった。

女性事務局員2人は、TKLの仕事と北の屋台の仕事の両方を、受け持ってくれていた。①の公開講座は、招聘する大学教授らとのスケジュール調整から、飛行機のチケットの手配、講座当日のビデオ撮影、後日は録音テープからのテープ起こし本の作成などの仕事があった。②の紙上セミナーは①で招聘した教授らへの原稿依頼から、送られてきた原稿のチェック、新聞社とのやり取りが毎週切れ間なく続く。それ以外にも③〜⑨のプロジェクトの仕事が入ってくる。そして、それに加えて更に、北の屋台の経理や事務や雑務をするのだから、それこそ毎日、毎日、大変な量の仕事をしてくれていた。TKLも北の屋台も彼女らの献身的な働きで保たれていたのである。

そのTKLの活動は2006年12月末日をもって終了した。予定通りと言えば予定通りの年限であるが・・・。

2006年11月28日に開催された北の屋台の理事会で、突如、私が北の屋台を辞めることになった(詳細は後日)。

献身的に活動してくれていた2人の女性スタッフも私と一緒に辞めることになった。私と2人の女性スタッフがいなければTKLの活動は続けることができない。

TKLの解散は、今、考えても、実にモッタイナイことであった。